06

 ふと目を覚ますと、見慣れた天井が目に入った。どうやらおれは自分の部屋にいるらしい。
 どうやってここに至ったのか、思い出そうとしてみても、重い身体を引きずるようにして階段を上ろうとしたところまでしか覚えていない。おそらくそこで充電が切れてしまったのだろう。主電源はおろか予備電源まで使い切ったのだ。意識は完全にシャットダウンしていた。

「お。目が覚めたか」
 上から覗き込まれて、顔を向ける。其処にいた赤い髪の男はいつも通り飄々としていて、変わったところは特に見当たらなかった。
「……おれ、」
「ああ。覚えてるか?お前、階段の途中で停止してたんだぞ。危ねえから次からは停止しそうになったら階段の下で止まっとけよ」
「……悪い」
「別に謝ることでもねえさ。お前が電池切れなんて珍しい。その上予備電源の方まで使い切って停止してたんだ。つまりそれだけのことがあったんだろ?」
「…………」
 それだけのこと、というのがおれの中ではまだ整理がついていなかった。あんな状態に陥った原因は明らかだ。だが、果たしてそれが何よりも優先すべきことであったのかと言われれば、それは疑問だった。いや、違う。優先すべきことではなかった。なのにおれはそれを何より優先したのだ。途中で充電が切れて停止状態になることよりも、誰かにアンドロイドであるとばれてしまう危険性よりも、ルフィがいないこと、ただそれだけのことがおれの中で何より大きかった。
「………ルフィ、は」
 もしかしたら近くにいるのではないかと思ったが、一通り部屋の中を見渡してみてもそこにルフィの姿はなかった。当然だ。おれはあいつに、もう近寄るなと言ったのだ。
 自分であんなことを言っておいて、その姿を探してしまう自分は一体何なのだろう。矛盾している。近くに居てはいけないと思う。だが、たぶん、おそらく、だが、おれはルフィに近くに居て欲しいと、そう思っている。
 あの後、ルフィはどうしただろう。最後に見たのは傷ついたように歪んだ顔と、弾かれたまま行き場を失くした手だ。ルフィは、少なくとも意識が落ちるまで、一人家に入るおれの後を追っては来なかった。
 おれが身体を起こすと、男は言った。
「ルフィなら今、下で寝てる」
「……そうか」
 思わず小さく息を吐くと、男の手が伸びてきた。そのまま少し乱暴に頭をガシガシと撫ぜられる。おれはその手を払い除けるようなことはしなかった。
 大きい、と思う。自分の手と然して変わらないはずの男の手を、おれはなんだかとても大きいと、そう思った。
「頭を、使い過ぎたんだろうな」男は言う。「おれは本気で驚いたぞ。帰って来てみたら一人は家の前で固まってるし、もう一人は階段の途中で固まってるときた」
「あいつも電池切れてたのか」
「いいや、切れてはなかったけど、身体の動きは完全に止まってたな。多すぎる情報量に処理が追いついてなかったんだろ。ルフィはお前より随分とその辺が苦手らしい。だが、まあ苦手なだけで出来ないわけじゃねえ。とりあえず家の中に運ぶだけ運んでやったが、おれは他のことは何もしてねえ。一生懸命考えてる邪魔すんのも悪いしな」
 今までも、ルフィが情報を処理しきれずにフリーズする場面はあった。だが、ルフィにとって、おれのあの行為はそれほどの情報量を持っていたのだろうか。手を弾かれた。拒絶のような言葉を吐かれた。ルフィにとってはたったそれだけだ。他に何があるというのだろう。
 そんなおれの考えが全てわかっているみたいに、男は言った。
「お前らに今日何があったのかおれは知らねえ。だが、一つだけお前に言っておく。ルフィは考えること嫌いだし、考えるより前に身体が動く奴だが、それでもルフィなりにちゃんと考えてた。何をどう考えて、どんな結論を出すかはわからねえが、あいつが自分で考えて出した答えだ。人に言われて出した答えじゃない。最初からプログラムされたものでもない。ルフィが自分で学びとった知識で、一生懸命捻り出した答えだ。それがどんなものでも、否定はしてやるなよ」
 いつも飄々としていて、真面目なんだがふざけているんだかわからない男が、いつになく真っ直ぐにおれを見る。しかしその一瞬後には目元を緩ませた。もしそれが一瞬でなければ、おれは目を逸らしていたかもしれない。
「………何があったか、訊かねえのか」
「訊かねえよ」
「おれかルフィの内蔵メモリ見ればすぐに全部わかるのに、それもしねえのか」
「そんな趣味悪いことするかよ。今日、お前らに何かがあったのはわかる。だが、それはあくまでお前とルフィの間にあったことだろ。それを横から覗き見るようなこと、おれはしない。お前も、ルフィもちゃんと考える頭を持ってて、話せる口も持ってんだ。お前らが話したいっていうならおれは幾らでも聞いてやる。だが、話したくないもんを無理に引き摺り出そうとは思わねえ」
 男の言葉に、おれは一度目を伏せた。暫く無言の時間が過ぎる。その間、男は一言も口を挟まなかった。
 そうしておれは目を伏せたまま、口を開いた。言ってしまいたいのか、それとも言いたくないのか、おれにだってよくわからなかった。それでもおれは話し始めた。
 きっとそれは、頭に置かれた男の手が、大きく感じられたからだろうと思う。
「……おれは、今日、多分、ルフィを否定する言葉を吐いた」
 男は何も言わない。下手な相槌も入れなかった。
「いや、否定したのはルフィじゃなくておれなのかもしれねえ。おれは自分が嫌だったんだ。ルフィの行動や言葉の一つ一つに振り回されて、冷静な判断も出来ねえ。まるで役に立たない機械みたいな自分が嫌でたまらなかった。ルフィがいない時はこんなことなかったはずなのに。求められることに応える、最善の方法を選んで行動する、そんな当たり前のことを当たり前にやってた。なのに、ルフィが関わった瞬間からおれはそんな単純なことすら出来なくなっちまった」
 ルフィのたった一言に縛られたみたいに動けなくなったり、そうかと思えば電池の残量も気にせず走り出したりする。自分で自分のことがわからなくなる。自分の身体なのに、制御しきれない。
「なあ、おれ、もしかしてどこか壊れてんのか……?」
 伏せていた目を上げて男を見る。おれは男に、きっと「壊れている」と言って貰いたかったのだろうと思う。
 ああ、壊れている。だからその部分をおれが直してやる。それでお前は元通りだ。
 そう、言って欲しかった。それで全てが片付いて、おれはこんな変な気持ちに振り回されなくて済む。一件落着だ。そうすればおれはアンドロイドとして再び存在していられるのだろう。そう期待して訊いた。
 だが、男は迷わず言い退ける。
「お前は何処も壊れてねえよ。むしろ正常そのものだ」
 まるで安心しろと言うかのように口元に笑みを浮かべて、そう言った。
 おれの期待した答えは返ってこなかったが、やっぱりな、と思った。
「……じゃあおれは、元から欠陥品ってことか」
「何でそうなる」
「だってそうだろ。アンドロイドが何故必要なのか、それは人間にとって役に立つ道具だからだ。思うように動かないアンドロイドの価値が何処にある。おれには人間らしさなんて要らねえんだ。そんなもの、人間がいるんだから、機械が持つ必要なんてない。アンドロイドは、おれは、有能でなければ存在する意味がねえ」
 下手に人間らしさを持ってしまえば、歯車が狂い始める。機械的に回っていたそれが好き勝手に動き始め、最後には全てを崩してしまう。
 アンドロイドと人間は結局のところ違う存在なのだ。それでも同じであるかのように振舞えば、やがて無理が生じる。それが最終的にどれだけ厳しい現実をおれに、おれたちに突きつけるか、『おれ』は知っている。おれの中の何かが、それを訴えている。
 おれはもう二度と、あんな目に合いたくない。合わせたくない。
 あんな目。それはおれの中にただ漠然とあった。何なのかよくわからない。そのくせ、どうしてかその思いは強すぎるほどに強かった。
 男は暫しおれを見つめて、大袈裟なため息を吐いた。そうして再びおれに手を伸ばしてきたかと思えば、今度は思いっきり指で額を弾いた。
「な……っ?!」
「ばーか。お前は色々考えすぎなんだよ。もっと楽に生きろ」
「そんなこと……!おれは人間とは違えんだ!」
「あー、もう、お前ってほんっとに頑固だな。お前は自分で考えてちゃんと行動してる。だが、それが出来ないくらいルフィの方が大切だったってだけだろ。いいじゃねえか別に。他のことは出来てるわけだし」
「でも、」
「でもじゃねえっての。お前、ルフィが誕生日に言ったこと完全に忘れてるだろ」
「………ルフィの誕生日……?」
 あの日のことを思い返してみるが、男が何のことを指しているのかわからない。
 視線を戻すと、男は言った。
「あの日、ルフィはお前に言っただろ。『ここにいてくれてありがとう』って。その意味わかんねえか?ルフィはお前に有能さなんて求めてねえんだ」
 おれは男を見る。情報と情報が、自分の中だけでは綺麗に繋がらない。いや、ただ自分で繋げようとしていないだけだ。おれはそれを他の人の手で、繋げて貰いたかった。
「お前が勝手に自分に課してる規制やら何やらを簡単に飛び越しちまうくらい、お前の中で存在の大きいルフィが、ただお前が居てくれるだけでいいって言ってんだ。有能だろうと無能だろうと関係ねえ。お前に何が出来ようと出来なかろうと、ルフィはただエース、お前に居てくれって言ってんだ。それでもまだお前は何か言いてえことがあるのか?ああ、先に言っとくが、あるって言葉はおれは聞かねえからな」
 きっぱりとそう言い退けて、男は立ち上がる。
「………滅茶苦茶だな」
 ぼそりと呟くと、文句あるか、と返ってきた。おれは微笑う。始めてかもしれない。そうしてまっすぐに男を見て、言う。
「ねえよ。文句も、これ以上言いたいことも、何もねえ」
 おれの答えに、男は「よし」と笑った。そして、
「ああ、でもお前はこれで良いとしても、ルフィが考えて出した答えがどんなのかはまだわかんねえんだったな」
 ちゃっかり爆弾を落とすことも忘れなかった。