04

 自分の考えを言いたいだけ言って涼しい顔をして続きを食べ始めたナミの真正面で、ルフィは目を瞬かせた。
「んー…。だめだ。よくわかんねえ!」
 どうやら何とか情報を処理しようとしたものの、結局うまくは行かなかったらしい。
 正直なところ、おれにだって100%は理解できていない。人間の言う、感覚や抽象的、哲学的なことはおれたちにとってひどく難しい。ナミの話は論理的かつ数学的ではあったけれども、言いたいことはおそらく哲学的なことなのだ。
「おめえは難しいこと言うなあ」
「あら。そんなことないわよ」
「そうなのか?」
「ええ。つまり今日はあんたのおかげで、なかなかおもしろいものが見れたってことよ」
 ナミはおれにちらりと目を向けて、無言で口元に笑みを浮かべた。つまり、おもしろいものというのはおれのことであるのだろう。
「………んー…。」
 ルフィは眉を寄せて首を傾げる。納得がいかない、という表情だ。
「やっぱりわかんねえぞ」
「まあ、いいわ。」
 そう返ってくることがわかっていたように、ナミは笑う。
「そんなことより、お昼早く食べちゃいなさいよ。ここの昼休みはあんまり長くないんだから」
「おお、忘れてた!ほんじゃあ、いただきますっ!」
 両手を合わせるよりも早く箸を掴んで目の前の弁当へと向かう。切り替えの早い奴だ。

 アンドロイドのくせに大食漢であるルフィは、サンジの用意した弁当をぺろりと平らげた。豪華な弁当が空になるのは、あっという間のことで、おれとルフィ以外の三人はその食べっぷりに瞠目した。
 ゾロとナミは思わずルフィの空になった弁当と自分の弁当へ交互に目をやったが、サンジは眉間にしわを寄せる。
「おいこら。てめえ、もうちょっと味わって食えよ!」
 これは当然の反応だろう。折角作った弁当をこうも早く腹の中に入れられてしまっては、文句の一つも言いたくなる。普通ならば味など気にすることもなく、ただ流し込んだようなものだ。作り甲斐も何もあったものではない。
 ただし、普通ならば、だ。おれたちはその一般論には当てはまらない。
「おれは十分味わって食ったぞ。サンジ、おめえすげえなあ!めちゃくちゃうまかった!」
 ルフィの味覚はいまいち信用ならないが、サンジの料理がうまいことは周知の事柄であるので、今回に限ってはちゃんと機能しているのだろう。
「適当なこと言ってんじゃねえよ」
「ほんとだぞ。おれウソはつかねえ」
 空になってしまった弁当箱を惜しむように見つめて、すげえうまかった、と繰り返す。
「エースの作る飯もうめえけど、サンジもすげえなあ」
「あ?エースが飯作んのか?」
「おう。うめえんだぞ!エースの飯は」
「へえ。そいつは知らなかったな」
 サンジは片眉を上げる。
「けど、一応料理人としては同じように美味いと言われても素直に喜べねえんだが」
「そうなのか?どっちもうめえのになー。でもエースのはエースがおれのために作ってくれたやつだからな。サンジのはもともと違う奴のために作ったものなのにこんなにうめえんだから、やっぱすげえな。…ん?ってことは、この弁当はサンジの愛が入ってんのか?」
 ルフィの言葉に、サンジは「はあ?」と間の抜けた声を発した。
 ルフィにとっての美味い料理とは、誰かが自分のために作ってくれたものであり、更に家族と一緒に食べるものである。それに愛が詰まっていればなお美味くなる。この認識はあの男の言葉を鵜呑みにしたことによるものだ。
 先ほど平らげた弁当はもともと自分のために作られたものではない。なのに美味いのは、それに愛が詰まっているからだと考えたのだろう。
「気色悪いこと言ってんなよ。誰がこんな奴らの弁当に愛を込めるかっての。おれが愛を込めるのはナミさんの弁当だけだ」
「そんじゃ、ナミの弁当はもっとうめえのか?!」
 今にも涎を垂らしそうな顔で弁当を見つめられて、ナミは呆れた顔をする。
「食い意地張ってるわねえ。でも、これは私のためにサンジくんが作ってくれたものなんだから、あげないわよ?」
「てめえ、他人の食事を物欲しそうに見てんじぇねえよ」
 そう言われてもまだ、名残惜しそうにルフィはナミの弁当を見つめる。
「そっかー。いいなー。うめえんだろうなあ。サンジがおれのために作った料理食ってみてえなあー」
「……そうか?」
 料理人として、「食ってみたい」という言葉に触発されたのか、サンジが満更でもない顔になる。
「……まあ、そこまで言われちゃ、悪い気はしねえな。何と言っても、わざわざ人が弁当拵えて来てやってるってのに、こいつらはいつも感謝の言葉一つねえし」
 言いながら、サンジは顎でおれとゾロを指す。
「それに比べたら、お前には作り甲斐ってもんがあるか」
「あら。私は感謝してるわよ?いつもありがとね、サンジくん」
「そんな!ナミさんはおれが作ったものを食べてくれるだけでいいんですよう!」
 鼻の下を伸ばして身体をくねらせながらそう言うと、今度はいつもの顔に戻してルフィを見た。サンジの切り替えの早さには目を見張る。
「仕方ねえ。今度お前にも何か作ってやるよ」
「本当か?!」
「ああ。ただし、おれの愛はレディ限定だからな。お前のには入らねえぞ」
「……そか。うん。わかった。それでいいぞ。サンジの飯かー!楽しみだなー!」
 嬉しそうに笑うルフィを見て、おれは眉をしかめた。何故だろう。何処か面白くない。
 サンジがルフィのために料理を作る。その約束をした。それをルフィが楽しみに喜んでいる。たったそれだけのことの、何がおもしろくないのか自分にもよくわからない。考えれば考えるほどもやもやする。
 ルフィが生まれてから、未処理の情報が積み重なっていくみたいだ。限られたスペースに荷物が乱雑に放り込まれているような感覚と言えばいいのだろうか。
 すっきりしない。

 うーん、と唸る声がして顔を上げる。自分の口から出たのかと思ったがそうではない。見れば、さっきまで笑っていたルフィが難しい顔をして、左右に首を傾けている。
「……何だ?」
「んー。サンジさあ、さっき『いつも』って言ったよな?」
「あ?何の話だ」
「弁当の話だ。『いつも感謝の言葉がねえ』って言ってたろ?」
「ああ。作り甲斐がねえっていう話な。言ったけど、それが何だ」
「サンジはいつもエースとナミとゾロの弁当作って来てんだよな」
 ルフィが何を言いたいのかよくわからなくて、おれたちは揃って眉を寄せた。サンジは「ああ」と応えるが、だから何だ、と問いた気な顔をしている。
「ってことは、エースは学校ではいつもお前らと飯食ってんのか?」
 ルフィの言葉にサンジは「何を今更」と訝しむような目を向けたが、ナミだけは真っ直ぐにルフィを見た。観察しているような瞳だ、と思う。
「まあ、おれとしては一緒に食うのはナミさんとだけの方がいいんだが、残念ながらいつもこいつらが一緒だな」
「………そうか。」
 ルフィは一つ頷くと、突然立ち上がった。
「じゃあ、おれ帰る!」
 あまりにも唐突なその言葉に驚いている間に、ルフィは早くも教室を出て行こうとする。
「お、おいっ!ルフィ!」
 思わず呼び止めたが、ルフィは一度振り返って「じゃあなっ!」と声を張り上げると、そのまま走って行ってしまった。来るのも突然なら、帰るのも突然だ。
「……なんていうか、変わった奴、だな」
 サンジがそう呟く。ナミは何事もなかったかのように、ご馳走様、と手を合わせて立ち上がった。
「私もそろそろ教室に戻るわ。昼休みももう終わる頃だし。……それにしても、」
 ちらりとおれに目を向ける。
「あれが『弟』ね」
 含みを持たせたような物言いに、おれは「何だよ」と眉を寄せる。しかしナミは口元に笑みを浮かべただけで何も言わずに教室を出て行った。
 いったい、なんだというのだ。

 学校から帰ると、ルフィは一人居間でくつろいでいた。男の姿はない。ルフィに訊くと、まだ帰っていないのだと言う。あいつが長時間家を空けるのは珍しい。
「………一人でちゃんと迷わず帰れたのか?」
 何を話していいかわからずにそんなことを訊くと、ルフィは、む、と顔をしかめた。
「失敬だな!ちゃんと帰れたぞ。行くときはちょびっとだけ迷ったけど、帰りは一回通ってるからな。大丈夫だぞ」
「そうか」
「怒んねえのか?」
「……怒る?」
 何を、と言いかけてやめた。心当たりがある。
「……朝のことか」
「おう。今朝、学校来んなって言われたのに行ったから、怒られるんじゃねえかなと思ってたんだ」
「いや、朝のは……おれもよくわかんねえんだ」
 どうしてあんなにも嫌だったのか、実際にルフィが学校に来た今でさえもわからない。学校までやって来て、いい気分ばかりでもなかったが、あれほど必死に止めるほどのこともなかったと思う。
「けど、怒られてまで学校行きたかったのか?」
 そうまでして学校に来たルフィがしたことと言えば、弁当を持って来ただけだ。怒られないことよりも、そっちを選んだことはイマイチ腑に落ちない。
「ん。」
 頷くと、おれを見上げてはっきりと言った。
「でも、もう行かねえ」
 はっきりと。少しの迷いもなく。ルフィはそう言った。
「………なんで」
 怒られてまで学校に来たがったり、そうかと思えば行かないと言ったり、ルフィの言動はわけがわからない。
「要らねえから」
「なにが」
「おれが」
「………どういう意味だ」
「だって、あそこにはもう一緒に飯を食べる相手がいるだろ?エースが学校にいるときはおれは要らねえんだ。だから行かねえ。それにナミが言ってただろ。おれはエースの近くにいるんだって。だからいいんだ」
 すっきりしたように笑って、そして、言う。
「ずっと一緒じゃなくても、いいんだ」
「………一緒じゃなくても、」
 おれは、一人呟く。
 一緒じゃなくてもいい。
 その言葉が妙にこびりついて離れなかった。