03

 ルフィの持ってきた弁当を手にして席に戻ると、お前の弟って随分と変わった奴だなあ、とサンジが呟いた。おれも確かにそうだと思うので、ただ一言そうだな、と返す。やはりアンドロイドとしても人間としても、ルフィは幾分変わり者であるらしい。
 空いた席から椅子を一つ借りてきて自分の椅子の隣に並べると、ルフィが物珍しそうに教室内を見渡しながら其処に座る。そしてすぐ、あ、と声を上げた。
「どうした?」
「エース……どうしよう。おれ、エースの弁当のことしか考えてなかったからよ、自分の弁当持って来んの忘れちまった」
「………」
「これじゃ一緒に食えねえ」
「……おまえなあ」
 それでは本当に此処には弁当を持ってきただけではないか。朝のやりとりも、その後おれの頭からルフィの顔が離れなくて悩んだことも、全部無駄だったことになる。何してんだ、と文句の一つも言いたくなるのは仕方がないだろう。
 しかし、折角こうしてやって来たというのに帰すわけにもいかない。というより、ルフィのことだ。帰そうとしても目的を達するまで素直に帰るわけがない。
 仕方ないからルフィの持ってきた弁当を半分ずつ分けるか、と言おうとしたところでサンジが問題ねえだろ、と口を挟んだ。ルフィが机を挟んでおれの向かいに座ったサンジに顔を向ける。
「何が?」
「エースがお前の持ってきた弁当を食うんなら、おれが持ってきたやつが一つ余る。お前はそれを喰えばいいだろ。な。まったく問題ねえ」
 ルフィの動きが一度止まる。今の説明では瞬時に処理し切れなかったらしい。
「……んと、つまり。おれは、……えーと?」
「サンジだ」
「おれはサンジの弁当を食っていいってことか?」
「おれのっていうか、おれが持ってきた弁当な」
 鞄から四つの弁当を取り出す。一つだけある小さめの弁当箱はナミ用のものだ。その中身が他の三つとは手の込みようが違うのはいつものことで、それを見る度におれは器用な奴だと感心している。
 他の三つはどれも同じで見分けがつかない。ナミのものには手を込めても、自分の分には手を込めないのがサンジだ。
「ほらよ」
 三つのうち一つをルフィに差し出す。ルフィはそれを受け取ると、ぱちぱちと瞬きをしながらサンジを見た。
「これ、おれが食っちまっていいのか?」
「ああ。お前食うもんねえんだろ。だったらそれ食っとけ」
「そりゃ弁当はねえけど、でも、これはサンジがエースのために作ったもんだろ?おれに作ったもんじゃねえじゃんか」
 ルフィの言葉にサンジは訝しむような顔をしたが、おれはルフィの言いたいことがわかる気がした。ルフィにとって食事は自分のために作られ、用意されたものを食べることをいうのだ。おれたちにとってはどうしても食べなければいけないものではないし、実際今までそういう食事しかしてない。それに、あの男は食事を特別なもののように言うから、言葉のまま受け止めたルフィにとってもまた、食事は少なからず特別なのだろう。
「ルフィ」
 呼ぶと、すぐにこっちを見る。
「それはお前の分の弁当だって言ってんだ。貰っとけよ」
「おれの分?」
 ルフィは少しの間黙って弁当に目をやったあと、顔を上げて笑顔で応えた。
「そっか!んじゃ貰うぞ!あんがとな、サンジ!」
 その顔を見て、漸く話がついたことにホッとしたのか、サンジも口元に笑みを浮かべた。

 五人が合わせた机を囲むように座る。ルフィの向かいにはナミが座り、ゾロはおれとサンジの間に椅子を置いた。
 二人らしいなと思う。初めての客人に興味を隠さないナミと、自ら進んで初対面の奴に関わろうとしないゾロ。人間の性格は自然と行動に表れるのだ。
 弁当を開けてみると、一般的な普通の弁当がそこにあった。ゆかりの混ぜご飯に鮭の塩焼きとスクランブルエッグ、赤いウインナー、ミニハンバーグ。彩のサラダ菜の上にはポテトサラダ。
 コックを目指しているというサンジの弁当はいつも豪華で、細かい盛り付けまで非常に凝っているものだから、それと比べると少し地味な感じがしてしまうけれど、至って普通の、家庭的な弁当だ。
 正直なところ、ルフィの作る料理というものがどんなものか少し心配していた。ルフィは飯を作ったことがない。一昨日生まれたばかりなのだから当たり前なのかもしれないが、包丁だって持ったことがないのだ。そのルフィが作ったという弁当はどんなものなのか見当もつかなかった。
 しかし開けてみればごく普通の弁当で、少し拍子抜けしてしまった。
「これを、お前が?」
「おう。シャンクスに教えてもらった」
「ハンバーグも?」
「それはシャンクスが作った。でも詰めたのはおれだぞ」
「鮭は?」
「それもシャンクスだな」
「……お前が作ったのは?」
「おれか?んとな、ご飯混ぜて、詰めた」
「それから?」
「ポテトサラダ。マヨネーズかけて混ぜるのはおれがやったんだ」
「……そんだけか?」
「んー。あ、そうだ。卵焼きはおれだぞ!巻くのすんげえ難しかった」
「………そうか。」
 なんとスクランブルエッグと思ったものは卵焼きであったらしい。少しも巻いてあるようには見えないけれども。
 『卵焼き』を一つ箸で掴み、口に入れる。咀嚼し飲み込むまでをルフィがじっと見つめる。ごくん、と飲み込むと同時に、ルフィが顔を近づけ訊いた。
「どうだ?エース。なあ、うめえか?」
「ああ。美味い」
「っ!そか!そうだよな!エースのために作った弁当で、そんで一緒に食ってるもんなー。そっかーうめえかー!」
 そう言って、ししし、と嬉しそうに笑うルフィの向かいで、ナミが箸で卵焼きを掴んだまま、意外だわ、と呟いた。こっちの卵焼きはさすがというべきか、綺麗に巻いてある。
「エースも弟の前ではちゃんと兄の顔になるのね。表情があるっていうか……。今までの姿からは想像できなかったけど。ねえ、サンジくん」
「ああ、いや、ほんとに」
 ナミへの相槌に余計な言葉が入らないとは、呆けたような顔をしているサンジは本当に驚いているらしい。そこまで驚かれる理由はおれには理解しかねるけれども。
 ルフィがそんなサンジとナミの顔を交互に見て、堪えかねたように問う。
「どういう意味だ?なんか違うのか?今までのエースってどんなだ?」
「あら。知りたい?」
「おう。知りてえ。おれはおれの兄ちゃんのエースしか知らねえもんよ。今のエースとは違えのか?」
「そうね。少なくとも私たちには違って見えるわね。今までのエースって……、えーと、何て言ったらいいのかしら。他人に興味がないって言うとちょっと違う気がするけど。ねえ、ゾロ。あんた前何て言ってたっけ?」
「あ?……あー…」
 ゾロがちらりとおれに目を向ける。本人の前で口にしてもいいものか少し迷っているらしい。おれが促すと、今度はルフィとナミを見た。そしてぶっきらぼうに言う。
「……前に言ったことそのまま覚えてるわけじゃねえけど、『違う円の中にいる』っていう意味のことを言ったような気がする」
「ああ、そうよ、それ。思い出した。エースは他人と進んで関わろうとしないっていうよりは、最初から別の世界にいるみたいに接するのよ。ゾロは……あ、ゾロってそこにいる緑色の頭の男のことね。そいつも一匹狼みたいなところがあるけど、エースはそういうのとはちょっと違うのよね。学校とか、社会とか、大きな集合には一応属しているけど、もっと基本的なところでは私たちとは重ならない。内と外って言えばいいのかしら。人間を全て一つの集合と捉えてるくせに、自分自身をその集合の中には入れずに、一人外から見てる。そんな感じだったのよ。今までのエースは」
 ルフィの動きが停止する。今の情報を処理するには時間がかかりそうだ。今まで受け入れてきた情報の中で一番難解なのではないかと思う。処理しきれずエラーを起こしてしまうかもしれない。
 それにしても、ナミはともかくゾロまでそんな風に思っていたとは知らなかった。人間ってのは物事をあまり見ていないように見えて、実はしっかりと見ているらしい。気をつけなければ。
 でも、と呟いて、ナミは卵焼きを箸で掴んだままルフィを指す。
「エースの属する集合にはエースだけしかいないのかと思ってたけど、違ったのね。ルフィ、だっけ。あんたはその集合の中にちゃんと入ってるんだわ」
 ナミの言葉に、ルフィの目蓋がぴくりと動く。
「……おれ、エースの近くにいんのか?」
「ええ。それに、あんたはエースほど極端じゃないというか、離れていないような気がするのよ。さっき会ったばかりだからよくはわからないけど。勘みたいなものね。あんたは確かにエースの集合に入ってるけど、だからといって完全に外でもない。わかる?あんたがいると、二つの集合は多少なりとも重なるのよ」
 そこまで言って、ナミは漸く卵焼きを口に入れた。ゆっくりと咀嚼して飲み込む。そして固まったように動かないルフィとおれを見て、笑みを浮かべた。
「……なんてね。まあ、これは私たちが勝手に思ってることなんだけど。でも完全に間違ってるわけでもないと思うのよね」