02

 学校に着くなり、机に突っ伏した。
 何だか妙に疲れた。疲れたという感覚すら機械であるおれには不釣合いのものではあるけれど、この感じを言い表すのなら疲れたが一番合うのではないかと思う。
 軽く目を閉じると、家を出る直前に見たルフィの顔が浮かんでくる。哀しそう、というよりは不安がっているような顔だった。やたらと笑顔を振り撒いて、そうかと思えばいじけたような顔をしている。そんな顔は見ていたが、不安そうな顔は初めて見た。ルフィには似合わない。そう思った。
 おれだって、あんな顔をさせたかったわけじゃない。そう思う度、胸の辺りがやけに重く感じるのは、いったい何なのだろう。こんな感覚は初めてだ。

 コン、と机の脚を蹴られて顔を上げると、鮮やかな金色が目に入った。よお、と抑揚のない声が届く。クラスメイトのサンジだ。
「寝不足か?朝からそんな格好、何処ぞの剣道オタクじゃあるまいし」
「……まあな」
「何だよ。まあなって。なんかあったか?」
「……いや、別に」
 何でもない、と手を振ると、不審そうな顔をしながらもそれ以上詮索するようなことはしなかった。人間というものは、歳を重ねるごとに人と距離をとることが上手くなるのだ。サンジも例外ではない。
 そのサンジはといえば、フェミニストである。つい何年か前までは外国で暮らしていたそうだから、その影響もあるのだろう。普段の行動からしたらフェミニストというより、ただの女好きのように見える。だが、サンジは女を傷つけるようなことは一切しない。他の奴が女を傷つけることも許さない。だからやはりフェミニストであるのだろう。
 しかし、女のことしか見てないかと言えば、そんなこともない。口に出すのは女のことばかりではあるが、周りがよく見えている奴だとも思う。そんな態度は微塵も見せないけれども、さっきおれに声をかけてきたのは一応心配してのことだったのだろう。
 人間ってのは、どいつもこいつも個性的な奴らばかりだ。学校という集団生活の中に混ざってみると殊更強くそう思う。
 サンジがフェミニストであることもそうだ。憎まれ口ばかり叩きながらも、男に対してだって面倒見がいい。それも個性だろう。
 そのサンジが夢中になっている、一つ下のナミも随分と個性的な人間だ。とにかく金銭的価値のあるものに目がない。もともと頭のいい女ではあるが、金が絡むと比較にならないほど頭の回転が早くなるし、何よりやる気が違う。何故そこまで金にこだわるのかは知らないけれども、それもナミの個性となっていることは確かだろう。
 もう一人、サンジが剣道オタクというゾロだってそうだ。24時間365日、剣道のことを全く考えていない時はないのではないかと思う。寝ている時でさえ夢に見ていそうだ。
 こいつらは人間の中でもとりわけ個性的な奴らだとは思うけれども、おれから見れば人間って奴は皆例外なく個性的な面を持っている。誰一人として同じ人間はいないというが、実際その通りなのだろう。
 ではアンドロイドはどうなのかと言えば、機械であるおれたちに個性は存在しえないものだ。一つひとつの部品を全く同じように造り組み立てれば、そこにできるのは全く同じアンドロイドが二体できる筈だ。同じ存在がいる。ならばその固体が持つものは全て個性ではありえない。ありえないはずだ。
 それなのに、アンドロイドであるルフィは個性を持っているようにしか見えなかった。いや、そう言うと語弊があるような気がする。おれは、ルフィの持っているものが全てルフィの個性であって欲しい。そう思っているのだと思う。
 それが何でなのかはわからない。というより、考えたくなかった。

 学校での昼食はサンジの作ってきた弁当を貰うことになっている。
 別に食べることを必要としないおれは、わざわざ弁当を作ることも、また購買で買うこともせず何も食べずに昼休みを過ごしていたのだが、それを見たサンジがいつからか余分に作って持ってくるようになったのだ。目の前に食事を摂らない奴がいるのは許せないのだという。
 おれ以外にサンジの弁当を食べるのは二人。ゾロとナミだ。自分の分も含めて毎朝四つも弁当を拵えてくるのだから、すごい奴だと思う。本人は一つ作るのも十個作るのも大した違いはないと言っていたが、そういうものなのだろうか。
 ふと自分が作るときのことを思い出して、確かにそうかもしれないと思った。単純に四倍の計算にはならないのだ。複雑なことに。
 昼休みになると一人学年の違うナミがおれたちのクラスにやって来る。サンジがナミを迎えに出るのはいつものことで、二人が入ってきたところで昼食が始まる。それが毎日繰り返される、いつもの光景だ。
 しかし今日はそれが少し違った。サンジが迎えに出るところまではいつもと何も変わらなかったのに、教室に入ってきたのは二人ではなく三人だった。サンジとナミ、そしてもう一人。そいつの姿を目にした瞬間、おれは思わず立ち上がった。
 ルフィだ。
 見間違える筈もない。今日はずっと、家を出る直前のこいつの顔が頭に浮かんでいたのだから。
 学校に来ているというのに制服を着ていないため、周りの目も自然とルフィに向いた。そしてルフィの目がおれに向いていることに気付くと、おれとルフィを見比べるように周りの目が動くのがわかった。突然の訪問者に興味津々な様子がありありとわかる。
 嫌だな、と思う。おれは人間の好奇の目がどうしても好きになれない。それが自分たちに向けられているとなれば尚更だ。
 ルフィを連れて教室を出るべきだろうか。そう考えたが、それはここにいる奴らの好奇心を煽るだけだ、と思い直す。できるだけ穏便に済ませたい。
「エースに会いに来たって言うから連れてきたんだが、あいつお前の知り合いか?」
「……ああ。弟だ」
「弟?!」
 驚いたように声を上げて、おれとルフィを見比べる。訊いてきたサンジだけでなく、ルフィの隣に立っているナミも、他の奴らも皆一様に同じ行動をとる。こういう時の人間の行動というものには定型があるのかもしれない。
「お前、弟なんかいたのか」
「……いたっていうか、できたっていうか」
 言った瞬間、サンジの顔が驚いたような表情から何かを悟ったような表情に変わった。
「………お前んとこ、複雑な家庭だったんだな」
 確かに複雑には違いないだろうが、何かあらぬ誤解をされているような気もする。わざわざ訂正したりはしないけれども。
 しかし、学校に家族が訪ねて来るというのはそう珍しいことではないのだろうか。周りの好奇心が少しずつ薄れていくのがわかる。それと同時に教室の中にいつもの喧騒が戻ってきた。
 おれは小さく息を吐いて、ルフィを見た。朝の、あの不安そうな顔ではないけれど、表情は硬い。
「……何しに来たんだ」
「…………弁当」
「弁当?」
 手に持った包みを、おずおずとこっちに差し出す。
「……これ。シャンクスとな、一緒に作ったんだ。エースに。」
「おれに?」
 こくりと頷いて、窺うような顔でおれを見る。
「エース、怒ってんのか……?」
「……いや、怒ってはねえけど」
 ただ、これだけのために来たのか、とは思っている。制服も着ず、手続もせず、ただ弁当を届けるためだけにこんなところへ来たのか、と。おれたちにはあっても無くても構わないものなのに。
「何で弁当なんか持って来た」
「忘れ物を届けるのは家族の務めだって。シャンクスが」
「だから何で弁当なんだよ」
 それがどうしても必要とする物でないことくらい、ルフィだってわかっているはずだ。いらないのだ。おれたちには。
 ルフィは一度俯いて、ゆっくりと顔を上げる。
「だって、だってな、家族は一緒にご飯食べるんだぞ。それに、一人で食べる飯は美味くねえんだ」
 ルフィが言う。片手に持った弁当をこっちに差し出しながら、一緒に、と。そう言うのだ。
「……一人って、家にはあいつがいるだろ?」
「シャンクスは急用ができたって出掛けた。昔の知り合いに会いに行くって言ってたぞ」
「それでお前、一人で来たのか」
「そうだ。どうしてもエースのとこ行きたかったからな。途中ちょっと迷ったけど、でも、ちゃんと間に合ったよな?」
 そうだ。ルフィはおれといなければ落ち着かない。そう言っていた。
「……ああ。そうだな」
 笑顔を見せるルフィから弁当を受け取る。
「ありがとな」
 そう言いながら頭を撫でてやると、ルフィは歯をむき出しにして嬉しそうに笑った。
 おれのこの行動を、人間は兄貴らしいと言うのだろうか。それとも、甘いと表現するのだろうか。