09

 眠りについたルフィを残して部屋を出ると、扉の前にエースが立っていた。ルフィと話している間中、ずっとそうしていたのだろう。
 扉が閉まるまで無言でじっとルフィを見つめた。何を思っているのか、それはエースにしかわからないが、詮索するのは止めた。
「話、聞こえてたのか?」
「ところどころな」
「そうか」
 どれくらい聞こえていたにせよ、恐らくエースはこうなることは最初から予想していたのだろう。ルフィの状態もエースはよくわかっていた。
「やっぱり、ルフィは直んねえんだな」
「ああ」
「研究者でも、か」
「身体の損傷は直せるだろうな。新しい部品と取り替えてやればいいだけだ。だが、ルフィの核となっている人工知能、その損傷はどうにもできない。人間の脳の部分に置かれててな、頭部の損傷の際に傷付いたんだろう。3年っていう年月も手伝ってか、焼きついちまってた。それがもし修復できたとして、再び目覚めたアンドロイドはもうお前の知ってるルフィじゃねえ。新しいアンドロイドになっちまってる」
「………」
「お前もわかってるだろうが、人工知能だけは取替えがきかねえんだ」
「だろうな。予想は、してたんだ」
「……もし、」
「もし?」
「……いや、何でもない」
 もし、人工知能が脳の部分ではなく心臓の部分に置かれていたなら、あれほど酷い損傷にはならなかったかもしれない。ルフィを、ルフィのまま助けてやれたかもしれない。
 そう言おうとして口を噤んだ。そんなこと、今更言ったところで何の意味も持たない。

「エース。ルフィは、お前の望むようにして欲しいらしい」
「………ばかなんだ。あいつは。どうしようもなく」
「ああ。そうだな。お前たちは本当によく似てる」
 お互いに相手のことが大切で、だからこそ身動きが取れなくなってしまっている。
 大切だから相手には元気に過ごして欲しくて、大切だから離すことも離れることもできねえんだ。
 結局、二人一緒じゃなきゃ、意味がねえんだろう?

「なあ、エース。おれはお前たちを探していた本当の目的をまだ言ってねえんだ」
「本当の目的?あんたはおれたちの人工知能が欲しかったんじゃねえのか?」
「そうだな。結論としてはそれと殆ど変わらねえ。だがな、おれはずっと、お前とルフィのような人工知能を持ったアンドロイドを造ることを反対してたんだ」
「……あんた、研究者だって言ってなかったか?」
「ああ。研究者であるということに偽りは無い」
「わからねえな。研究してたくせに実用は反対だってのか?矛盾してる」
「そう思うだろうな。現に変わり者扱いされてたしな。人工知能によってどんな感情を持つのか、感情によってどんな行動を取るのか、そういったことに興味があった。だから研究を進めてた。お前ら自身からしてみればこれほど不謹慎なことはねえだろうが、おれの本心だ」
「別にいいさ。そんなの最初からわかってたことだ」
「そうだな。でも、実用化には反対してた。人工知能がどれほど危険なものか認識してたからな」
「………。」
「いや、認識していたつもりだったんだろうな。上っ面だけで考えてた。根本的なところはおれは何もわかっちゃいなかったんだ」
「あんたの言いたいことがおれにはわからねえ」
「……おれはな、エース。お前たちの人工知能を取り出して、その場で破棄するつもりで来たんだ。完成した人工知能、その見本が存在すれば無制約にアンドロイドが造られていく恐れがある。いや、恐れがあるなんて生易しいもんじゃねえ。必ず起こる。それを阻むためにはお前たちの人工知能が存在しちゃいけねえと思ってた。だから破棄するつもりで来た」
「それをおれに話してどうなる?おれにとっては何も変わらねえよ。人工知能が取り出された時点で全部おしまいだ。その後廃棄されようが、次のアンドロイドの見本にされようがどっちも同じだ」
「……そうだな」
 確かに、エースにとってはおれがどう考えてここに来たかなんて知ったことではない。人間の事情なんて、もうたくさんだろう。
「あんたがどんな理由でここに来たんだとしても、おれにとってはラッキーだった。だから別に理由なんて何でもいい。あんたは、おれとルフィを救ってくれんだろう?」
「救うなんて、そんな大それたことはおれにはできねえよ」
「大したことじゃねえさ。おれたちにはできねえだけで、あんたには簡単だろう?機能を止めてくれるだけでいい。それがおれたちを救うことと一緒なんだ」
 エースにとって、それは解放なのだろう。幾つものプログラムに雁字搦めにされてずっと苦しんでいた。その状態から、やっと手に入れられる自由なのだ。
 だが、きっとおれはエースのその望みを叶えてはやれない。

「おれは3年前のあの日ルフィと一緒にいなかったことをずっと後悔してたんだ。後悔なんて、そんな感情持ったのは初めてだったかもしんねえ。後悔って苦しいもんだな」
「ああ、そうだな」
「後悔してたから、この3年間はずっとルフィの側にいた。殆どこの地下室にいたから何かが起こるなんてなかったけど、それでもずっと、ずっと側にいたんだ」
「ルフィが言ってたよ。エースがずっと側にいてくれたって。起きたら絶対エースが側にいたって。だから寂しくなかったって」
「……そう、なのか」
「エース?」
「……おれはよ、もしまた何かあった時のためにずっとルフィの側にいたつもりだった。でもよ、考えたんだ。もし何かあったとして、おれがルフィの側にいたって何もしてやれねえんだ。人間が危害を加えてきても、おれはやり返すことはできない。石を投げられても、棒で殴られても、ルフィと一緒に黙ってやられることしかできねえ。人間にルフィが殴られてるところを黙って見てろって命令されれば、おれはそれに従わなきゃなんねえんだ」
「………。」
「だったら、おれがルフィの側にいたってそれには何の意味もねえだろ?だからおれは多分何か理由をくっつけてルフィの側にいたかっただけなんだ。ルフィがいなくなっちまうのが怖かった。だからずっと一緒にいた。少しの変化も見逃さねえようにして、気付かないうちにルフィがいなくなっちまわねえように」
「……3年は、長かったろ」
「どうだろな。長かったし、短かった。でも、そうか。おれはただ自分がルフィと一緒にいたかったから側にいたけど、おれだけじゃあなかったんだな。ルフィも同じだったのか」
「ああ。お前が側にいたから、ルフィはちゃんと救われてた」
「そうか。……じゃあ、おれはもう何も望むもんねえなあ」
 張り詰めていた気が抜けたように、エースは安心したような笑顔を浮かべる。
「……それで、おしまいか?」
「ああ。終わりだ。あんたがルフィの機能を止めて、おれの人工知能を取り出す。それで全部終わりだ」
エースは終わりを望んでいる。今までずっと苦しい思いをしてきたのだから、早く自由になりたいと思っているのだろう。
 だが、おれはこれで全てを終わりにはしてやれない。
 悪いな、エース。
「続きを、造ると言ったら?」
 当たり前の反応だろうが、エースは眉間に皺をよせて怪訝な顔をおれに向けた。
「……なんだって?」
「お前たちがもう一度、一緒に過ごす時間を造る。そう言ったら?」
「……あんた、もしかしておれたちに同情してんのか?」
「いいや。これはおれのエゴだ。おれがそうしたいだけだ。お前たちと過ごす時間、おれはそれが欲しい」
「意味わかんねえ。何だよそれ」
「自分で言うのもなんだが、おれは強欲でな。欲しいと思ったもんは手に入れなきゃ気がすまねえんだ」
「そんなの勝手すぎるだろ。あんたの事情におれたちは関係ねえ」
「ああ。そうだな。でも、ルフィはおれに賛成してくれるらしいぞ?」
「……っ!」
 ルフィの名前がどれほどエースに大きく響くのか、それをわかっていて引き合いに出すおれは卑怯だろう。
 それでも、躊躇い無く口に出せるほど、おれは二人が欲しかった。
「なあ、エース。お前と、ルフィ。二人の命、まるごとおれにくれねえか?」