08

  アンドロイドには幾つかの決まりごとが存在する。研究が進むにつれて、アンドロイドの存在がそう遠くの未来ではないと考えられ始めてから提唱された原則で、一般にロボット三原則として知られている決まりをアンドロイドにも適用したものだ。
 曰く、一に人間に危害を加えること勿れ。二に人間の命令に逆らうこと勿れ。そして三に、一と二に反しない限りで自己に危険を及ぼすこと勿れ。
 なんて人間に都合のいい決まりごとだろうか。
 一項で人間の安全を保障させられ、二項で便利な存在であることを求められ、三項で頑丈さを求められる。人間の役に立つために長持ちさせなければならないからだ。
 エースにもルフィにもこの原則は適用されているのだろう。そしてそれを守るためのプログラムが幾つも組まれている。
 ルフィは一項に従って動いた。人間に危害を加えること勿れ。危害が迫っている場合にはそれを除去しなければならない。そして一項が適用される以上、三項の自分を守るという原則は適用されない。

「あまりにも帰りが遅いもんだから、おれはルフィを探しに行った。その時もう日は暮れてた。暗い森の中でルフィはたった一人で立ってた。おれは驚いて駆け寄って、呼びかけたけど何の反応も無かった。既に動きが止まってたんだ。人間を庇うのと、損傷のせいで著しく電池を消耗したんだろう。おれはルフィを背負って暗がりの中、家に帰った」
 話すことも辛そうなのに、エースは何処か聞いて欲しそうにも見えた。一人で抱え込むのが辛いというよりは人間であるおれに憤った思いをぶつけたい、そんな風に見える。
「おれたちは自分の見たものを記録するように出来ている。家に帰ってすぐ、おれはルフィの記録を見た。それで全部知ったんだ。そしてすぐあの町を出ることに決めた」
「すぐにこの場所に来ると決めたのか?」
「ああ。本当はルフィが怪我をする前から、あの町を出ることは考えてた」
「怪我の前から?何故だ?」
「それより前、二年近くおれたちは二人だけであの町に住んでたからだ。おれたちは成長しない。人間とは違って造り替えてもらわなきゃなんねえ。だが、造り替える奴は既におれたちの前からはいなくなってた。さすがにこれ以上は成長しない身体を怪しまれるだろうと思ってた。だから町を出るつもりだった」
「その時は何処に行くつもりだったんだ?」
「さあ。詳しく決めてなかった。でもルフィは知らない場所とか新しい土地が好きだから、何処かそういう新しい場所に行こうと思ってた。そん時は此処に戻ってくる気は全く無かった」
「どうして此処にした?」
「ここがルフィの造られた場所だからだ。ここならルフィの身体を直す機器が一番揃ってる。もしかしたら直してやれるかもしれないと思った。だからここにした」
「直して、やれなかったのか」
「ああ。わかってたことだけど、やっぱりダメだった。おれたちアンドロイドには自分を含めてアンドロイドを改造してはいけないという決まりがある」
「改造って……お前はルフィを直してやりたかっただけだろう?」
「同じことだ。アンドロイドがアンドロイドを弄る。それは出来ないようにプログラムされてる」
 エースは自分の両手を見つめる。どうしようもなく無力だった小さな手を。
 ルフィを直すための知識を学び取ることは出来ても、それを実行することが出来ない。直そうと手を伸ばした瞬間プログラムが作動し、手を止める。
 エースは何度同じように自分の手を見つめたのだろう。
「時間が経つにつれてルフィが弱っていってることはすぐにわかった。どれだけ充電してもどんどん消耗が早くなっていくんだ。今ではルフィはあの充電用の場所から殆ど動けねえ」
「お前はそうやってずっとルフィのことを見てきたのか」
「おれは、ルフィのことを見ててやることしかできねえんだ。おれじゃあルフィを助けてやれねえ。……無力、なんだ」
 エースの瞳に涙が溜まっていることに気付く。
 これがアンドロイドだと、ただの機械だというのか。
 おれの目にはどうしたって人間にしか見えない。
「ルフィは毎日毎日走り回ってたんだ。すげえ楽しそうに。なのに今はあそこで一日中寝てなきゃなんねえ。口には出さねえけど、ルフィだって辛いんじゃねえかって思うんだ。走り回りたい、外に出たい、そう思ってるはずだ。そう思いながらずっと寝てるより、いっそ全部機能を止めてやれたらどんなに楽だろうって何度も思った」
「それでも、お前は止めなかった」
「止めなかったんじゃねえ。止められないんだ。おれたちは自分の充電が切れそうになったら自ら充電するようにプログラムされてる。だからルフィはずっとあそこから動けない。おれもそれを邪魔できない」
 アンドロイド三原則。自己に危険を及ぼすこと勿れ。
 自らの機能が停止しそうになった場合にはそれを回避するように動く。
 それは果たしてアンドロイド自身を守っていることになるのか。雁字搦めにして締め付けているだけではないか。
「なあ、あんた研究者だろう。あんたならルフィを助けてやれねえか?」
 エースの瞳から涙が零れ落ちる。
「アンドロイドのおれには何も、ルフィを救ってやれることは何一つできねえんだ」



「ルフィ、なあ、ルフィ、起きれるか?」
「………お?……シャンクスか。エースは?」
「隣の部屋にいる。おれがルフィと二人で話がしたいって頼んだんだ。」
「そうなのか?話ってなんだ?」
 ルフィには警戒心が全くと言っていいほどない。初めて会った人間にも気軽に話しかける。
 そうやって、あの町でも人間と打ち解けて暮らしていたのだろう。
「……ルフィ。お前は人間が好きだって言ってたよな」
「おう。おれ人間好きだぞ」
「でも、人間のせいで嫌な思いもしたんじゃねえのか?」
「んー。あ、この怪我のことか?そうだなー。あの時はビックリしちまったけど、でもあれだけで人間みんな嫌いになったりしねえぞ。一緒に遊んでる時楽しかったしな。そりゃあ好きになれねえなあって思う奴もいるけど、でもみんなじゃねえ」
「そうか。……お前はすごいな」
 こんなにも傷だらけになってなお、ルフィは人間を恨まない。一番被害にあって、傷付いているはずのルフィが人間を嫌いにならない。だからこそエースはやり場の無い思いでいっぱいなのだろう。

「なあ、シャンクス」
「ん?何だ?」
「おれ、直んねえだろ?」
 あまりにも真っ直ぐに、オブラートに包むなんてことは微塵も考えずに口にするルフィに、おれは答えに困る。
「………ルフィ、それは、」
「自分の身体だからな、自分が一番よくわかってんだ。機械だから部品を取り替えることはできるかもしんねえけど、一番真ん中の部分はどうしようもねえ。そうだろ?」
 自身の死を目の前にしたような状況なのに、ルフィの声音は明るい。笑顔さえみせる。
「……なあ、ルフィ。お前はどうしたい?おれはお前の希望通りにしてやる」
「希望って言ってもなあ。エースは何て言ってた?」
「……お前を、助けてやれねえかって」
 おれにはエースの言葉を正直に伝えてやることしかできない。
 こんなにも自分の非力さを感じたことはなかった。目の前にいるのはずっと、長い間研究してきたアンドロイドだというのに、どうして何もできないのだろう。
 おれがやってきたのは何のための研究だったのか。
「……そっか。エースらしいな。おれはな、本当にどっちでもいいんだ。このまま充電を繰り返して寝たきりみたいになっても、今すぐ全部の機能止められても、どっちでもかまわねえ。でもな、ただ一つだけ、エースが辛いのは、それだけは嫌なんだ」
「……ああ。ああ、そうだな、ルフィ。」
「エースはずっと、この3年間ずっと辛そうだった。苦しくてたまんねえって、そう叫んでるように見えた。おれを見るの、すげえ辛そうだったんだ。おれがいるからエースが苦しまなきゃなんねえ。おれがいなきゃ、」
「違う。ルフィ、それは違う。エースはお前が大事なんだ。エースにとってお前は必要なんだ。だからよ、」
「わかってる。わかってんだ。シャンクス。エースはずっと側にいてくれたから。おれが寝てるときも、ずっとな、側にいたんだ。起きたら絶対エースがいたんだ。エースは、すげえあったかかった」
 言葉が、出ない。何か言葉を発すれば、押し止めているものが溢れてきてしまいそうだ。
「なあ、シャンクス。エースは『おれを助けて欲しい』って言ってたんだよな?」
「……ああ。そうだ。ルフィ」
「じゃあ、エースの言う通りに『助けて』くれ。エースは自分にはできねえって言ってたけど、シャンクスならできるんだよな?」
「………ああ。できる。でも、お前はそれでいいのか?」
「いいんだ。ありがとな、シャンクス」
「……っ!」
「おれシャンクスも好きだぞ。本当はエースとシャンクスと、もっといっぱい、一緒に過ごして、喋って、そうやって暮らしてみたかった、な……」
 ルフィはそう言って、また眠りについた。
 ギリギリまで押し止めていた涙は、いつの間にか頬を伝っている。
 溢れてしまったのは、ちゃんと、ルフィが眠った後だったろうか。

 エースと、シャンクスと、もっといっぱい過ごして、喋って。
 そうやって暮らしてみたかった。
「………なあ、ルフィ。おれもそう思うよ」