07

 ルフィは右目でおれを捕らえた。左目は虚ろなままだ。見えていないのかもしれない。
 ルフィの左半身は酷い有様で、人間だったなら良くて骨折の大怪我だ。死んでいてもおかしくない。何しろ頭部の損傷が酷い。

「お前が、ルフィ、だな」
 それでも写真に写っていた7歳の少年であることはわかった。写真のような快活な印象は受けられないが、明らかに同じ顔だ。エースと同じく、ルフィも写真の姿から成長していない。
「おう。そうだ。おっさんだれだ?」
「おれは、シャンクスってんだ」
 名乗ってから、そういえばエースに対しては名乗っていなかったことを思い出した。何者か、と訊かれたから研究者だと答えた。それだけだ。
 エースは名前を訊くようなことはしなかった。そんなこと、興味が無かったのだろう。

 ルフィは「シャンクス」と繰り返して、にししし、と嬉しそうに笑う。
「ん?どうした?」
「おれ、人間に会ったの久しぶりだ。ここにいる間、近くにいるのはエースだけだったからよ。エースがいるから寂しくはねえけど、でも久しぶりに人間に会えたのは嬉しいんだ」
「……お前は、人間が好きなのか?」
「おう。おれ人間好きだぞ。犬も猫も好きだけどな」
「そうか」
「あっ、でも一番好きなのはエースな?」
 ルフィがそう言うと、エースはルフィと同じように笑ってくしゃくしゃと頭を撫でた。
 エースの笑顔を見たのは初めてだったが、笑うと年相応の子どもの顔になる。その光景だけ見ていると、仲の良い普通の兄弟にしか見えない。
「シャンクスはエースに用事あって来たのか?それともおれに用事か?」
「エースとルフィ、お前たち二人に、だな」
「おれたちに?何だ?」
「それ、は……」
 言葉に詰まっていると、横からエースが「ルフィ」と声をかけた。ルフィの意識もそっちに逸れる。
 正直、助かったと思う。今のルフィの状態を見てお前から人工知能を取り出すなんて、そんなことが言えるはずもなかった。
「ルフィ、お前もう疲れてきたろ?」
「おれ大丈夫だぞ?まだ元気だ」
「そうか。でもちょっと寝とけ。後でまたゆっくり話すために充電しといた方がいい」
「後で?絶対だぞ?シャンクスまだ帰んなよ?!」
「ああ。お前が起きるまでちゃんといる。約束な」
 そう言ってニッと笑うと、安心したのかルフィは再び眠りに入った。それと同時にエースが部屋から出るように促す。おれはそれに従って静かに部屋を後にした。
 おれの後にエースが部屋を出た後、背後で扉の閉まる音がした。その音は妙に耳に響いた。


 ルフィの眠る部屋と扉一つ隔てた空間で、エースは黙って椅子に腰を下ろした。何と声をかけていいかもわからず、おれも無言でエースの向かい側に腰を下ろす。
 暫く沈黙が続いたところでエースが静かに口を開いた。
「……わかった、だろ」
「ああ。お前が助けを求めた理由はよくわかった。酷い状態だ。あの状態は一体いつからだ?」
「3年前」
「……そんなに?」
 あれほどの損傷で3年間も放置されているなんて、今も動いていることの方が奇蹟に近い。一つの組織に生じた損傷は時間が経てば経つほど他の組織にも影響し始める。最初はどこか一つの部位の損傷だったとしても、長い年月が過ぎれば全体に渡って大きな障害となる。
 3年前。
 それはエースとルフィが突然住んでいた町からいなくなった時と一致する。やはり其処に何か原因があるのだろう。
「3年前、お前たちが以前住んでた町を離れた直後、子どもたちの間で変な噂が流れたと聞いた。ルフィが普通の人間じゃないという噂だ。お前たちが町を離れたことと、この噂、そしてルフィの状態は何か関係があるんだろう?」
「……なんだ。そのことも知ってるのか。じゃあ話は早えな。答えはイエスだ。ルフィがあの怪我をして一部の人間にアンドロイドだとバレた。だからおれたちはあの町を離れた」
 やはりそうか。この3つが関係しているとなればそれしかない。
「じゃあ、ルフィがあの怪我を負ったのは何故だ」
 エースは少し俯いて、眉を顰めた。
「ルフィはな、昔っから無茶ばっかりするんだ。人間じゃねえってバレたら困るから人間には必要以上に近付くなって言っても聞きやしない。人間の中に混じって毎日毎日走り回ってた」
 エースの話と町で聞いた子どもの話が重なって、脳裏に在りし日のルフィの姿が浮かぶ。あの田舎の村を駆け回るルフィは他の子供たちと何ら変わりのない普通の子供だったことだろう。
「山に行ったり川に行ったり、あいつは毎日忙しなく走り回ってた。ルフィと遊びたがる奴は多かったし、あいつの近くにはいつも誰かいて、そんで笑い合ってたんだ」
「おれが話を聞いた子供も、ルフィによく遊んでもらってたって言ってたな」
「ああ、そういう奴らはあの村にはいっぱいいた。ルフィが怪我した日も、いつもと同じように何人かの人間と遊びに行ってたんだ。あの日は学校の裏山だった。昆虫採集だとか、かくれんぼだとかでよく行ってた場所だった。いつものことだと思っておれも別に心配してなかった」
「お前は一緒に行かなかったのか?」
「行かなかった。おれは自ら人間と関わろうとは思わなかったからな。本当はルフィにだって関わって欲しくはなかった。関わらなければきっとあんなことにもならなかった」
「ルフィのあの怪我、か」
「そうだ。山の中にはそれなりに危険な場所も多かった。だから大人たちはこれ以上奥に行ってはいけないっていう範囲を作ってたし、いつもは山の入口あたりまでしか入らなかったんだ。でも、その日は人間の子どもが一人、無謀にもロープをくぐって奥に入ってった」
「ルフィはその子どもを追って?」
「ああ。あいつの場合面倒見がいいってわけじゃなく、ただ冒険心が強えから入りたかっただけだろうけど。でも結果としてそれはその子どもを助けることになった」
「………」
「山の中には少し深い崖みたいになってるところがあってな、それに気付かず落ちそうになったところをルフィが気付いて庇った。庇われた奴は擦り傷だけで済んだが、ルフィは見ての通りの重傷だった。いくら身軽だったと言っても、7歳の身体じゃどうしたって無力だ。代わりに傷付いてやることしかあいつには出来なかったんだろうと思う」
「……偉いな。7歳だってのに立派じゃねえか」
 おれのその言葉にエースは噛みつくように声を少し荒げながら言う。
「立派?おれはそうは思わない。ルフィがそいつを助けたのは自分の意思じゃない」
「自分の意思じゃ、ない?」
「おれたちアンドロイドには幾つかの決まりがある。そしてそれに伴う幾つものプログラムが存在する。あの時ルフィに働いたのは『危険から人間を守る』っていうプログラムだ」
「まさか……」
「あんたは普通、人間の7歳の子どもが他人を守るために何の躊躇いもなく自らを犠牲にすると思うのか?もしそういう意思が働いたとしても足が竦んだりとかするもんだとは思わねえか?」
「……そう、だな」
 咄嗟に身体が動くなんて、そんなに簡単なものではない。
「ルフィだってそれは同じだ。そういう点ではただの7歳の子どもだったんだ。いや、造られてから7年も経っていなかった分、もっと幼い子どもだったのかもしれねえ。」
「ルフィはその時自分の身を守ることは考えなかったのか」
「一瞬なら考えただろうな。あいつは確かに無茶で無鉄砲なところがあるけど、それでも自分の身を守ることを全く考えないほど馬鹿じゃない。でも、目の前に人間の危険があるなら、最初からプログラムされてるものの方が、アンドロイドが自分を守ろうとする意思よりも優先する。おれたちの意思なんて関係ない。人間を助けるために勝手に動くんだ」
「……そのプログラムによってルフィは子どもを庇った」
「ああ。代わりにあの大怪我を負わされて、な。そのせいで身体の構造を隠していた皮膚も裂けて、機械だって証拠が曝け出された」
「それでその時の子どもにバレたのか」
 エースは皮肉な笑いを浮かべた。
「バレただけならまだ良かった」
「……どういうことだ」
「庇われた子どもは大泣きしてた。危険な目にあった後、更にルフィの怪我を見てしまって驚いたからだろう。その泣き声で他の子どもたちが寄ってきちまった」
 思い出すことさえも堪えられない。そんな苦しみと怒りに満ちた表情をして、エースは語る。
「近付いてきた奴らには何が起こったのかよくわからなかっただろうな。子どもが一人わんわん泣いていて、その側にはそれまで一緒に遊んでいたルフィと同じ姿をした、機械が立ってたんだからよ」
「驚いただろうな」
「ああ。実際に驚いて逃げ帰った奴もいた。全員そうなってくれれば良かった。だが、わけのわからないままその場に残った奴も何人かいた。」
「その子どもたちは、」
「あいつらは、自分なりの結論を出した。ルフィは自分たちとは違う。化けものに違いない。それまで一緒に遊んでいたルフィとは同視しなかった。違う生きものだ。そう考えたんだろ。そして、ルフィに襲い掛かった」
「襲い……」
「襲いかかったとは言っても掴みかかったわけじゃねえ。危険な化けモノに近付かずに攻撃した。石とか枝とか、そこらへんにあるものをルフィに向かって投げまくってた」
 エースの語るその話に、おれは言葉が出なかった。
 ルフィはもう、子どもを庇った時の怪我のせいで避けることも満足に出来る状態ではなかっただろう。その上、今まで一緒に遊んできた子どもたちが一斉に自分を攻撃してくる。それはどれほどの衝撃だったろう。

 おれの頭には二つの声が響いていた。
 ルフィは言った。おれは人間が好きだ、と。
 エースは言った。おれは人間を信用していない、と。