06

 頼む、と繰り返して頭を下げるエースはかなり悲痛な顔をしていた。余程思い詰めているように見える。
 「人工知能をくれてやってもいい」だなんて、人間で言えば心臓をやると言っているのと同じようなものだ。自分の命を投げ打ってでもルフィを助けたい、そう言っているのだ。

「……おれはまだ事態が掴めちゃいないんだが」
「ああ、そうだよな。いきなりだし。悪い」
「いや。とりあえず詳しい話を聞かせてもらってもいいか?」
「じゃあ、中に案内する。それに、先にルフィを見てもらった方が話が早い」
 そう言うと、エースはすたすたと歩き始めた。玄関の方に回るのかと思いきや、出てきた窓から建物の中に入る。おれは少し戸惑いながらエースに訊く。
「……おれもここから?」
「どっちでも。玄関は今中からしか開けられねえからおれはここから入っただけだ。玄関まで回るなら開けに行くけど、別にこっから入ってもいい」
「そんじゃあ、まあわざわざ回り道するのも面倒だし、こっから失礼させてもらうぞ」
 窓を乗り越え、建物の中に入る。中は普通のフローリングの部屋だった。やはり此処にも研究室用に地下室が設けられているのかもしれない。

「そういえば、おれが来たのはどうしてわかった?」
 人目につかないように裏側から侵入したというのに、建物に辿り着く前にエースが出てきたことを思い出して問う。
「ここにはセンサーと監視カメラが設置されてる。ある一定距離まで敷地に近付いた奴がいたらセンサーが察知して、おれがこの敷地内にいる限り直接おれに知らせるようになってる。センサーの反応があったから監視カメラの映像を見てみたらあんたが敷地内に入ったところだった。そのまま放っておこうかと思ったけど、どんどんこっちに向かって来るからやべえと思ったんだ」
「そうか。……悪いな。お前らの生活に踏み込んで」
「いいんだ。研究者が来たのはおれたちにとってもラッキーだった」
「……待ってたのか?おれみたいな奴が来るのを」
「わかんねえ。期待はしてなかったと思う。今の状態がずっと続くもんだと思ってたし。それに、おれは人間という存在を信用してない」
 その言葉におれは思わず眉を顰めた。あまりにもさらりと言いのけたものだから聞き流しそうにもなるが、どうしたって引っかかる言葉だ。
 人間を信用していない。
 そうエースに言わすだけの何かがあったということだろう。状況から考えて、それがルフィの状態に繋がっているのかもしれない。

「その、信用できない人間のおれにルフィのことを頼んでもいいのか?」
「……そうだな。でもこうするしかねえ。頼んでおいて悪いけど、多分おれはこの現状から抜け出したいだけなんだ。おれには何も変えることができねえから」
「現状を、変える?」
「それはきっとルフィに会った後にわかる」
 さっきからイマイチ状況が掴めない。何も慌てる必要もないのかもしれないが、こうもあやふやな状況だと落ち着かない。
「ルフィは何処に?」
「地下にいる」
「地下、ね。お前らの家には地下室があるのが基本なのか?」
「誰かが入ってきた時、これ見よがしな研究室じゃまずいだろ。アンドロイドの研究が行われているのは世間一般知っているとしても、普通何処かの研究施設でやってるもんだ。こんな住宅地でアンドロイドを造ってるとバレれば色々問題も多い。その上で他の奴にバレないようにするには地下が一番手っ取り早い」
「まあ、そうだな」
「あんたが此処に来る前に寄った家にも地下室があっただろうけど、此処はあそことは違ってちゃんと設備が充実してる」
「ルフィが造られた場所だって言ってたよな」
「ああ。そうだ。ここでルフィができた。おれとルフィが初めて会ったのもここだった」
「お前は違う場所で造られたのか?」
「よく知らねえ。というより、その部分のおれの記憶は消されてんだ。たぶんだけどな。おれを造った奴にどんな考えがあるのか知らねえが、おれに残しておくのはまずい情報だったんだろ。だからおれは自分が造られた場所も、その時の状況も覚えてねえ。そんなのおれにとって必要じゃねえから別に構わねえけど。ルフィが造られた時のことはちゃんと覚えてる。だからいいんだ」
「ルフィ以外のアンドロイドは?」
「あ?何だそれ」
「……知らないのか?」
 先導していたエースが振り返って、怪訝な顔を向ける。一体目であるエースなら何か知っているだろうと思ったのだが、どうやら本当に知らないらしい。
「さっきお前とルフィのファイルを見つけたって話をしただろ?そのファイルのナンバーなんだが、お前、エースはNo.1、ルフィはNo.5になってた。だからてっきりNo.2からNo.4までのアンドロイドも造られたんだと思ってたんだが」
「……いや、おれが知ってるのはルフィだけだ。消された記憶の中で会ってる可能性がなくもねえけど、たぶん完成したのはおれとルフィだけだと思う。もし他にアンドロイドがいたとしたら、5年くらい前は一緒に住んでたはずだ」
「創造主と一緒に、か?」
「………ああ」
「その、創造主ってのはどんな奴だ?今何処にいるのかお前らは知ってるのか?」
 訊ねると、エースは心底嫌そうな顔を向けた。あまり感情を表に出そうとはしないらしいエースがここまで剥き出しにするのは少々意外だった。
「あいつの居場所は知らねえし、知りたくもねえ。あいつの話題だけでもおれは御免だ」
 吐き捨てるようにそう言って向き直ると、再び廊下を進み始めた。
 これは大層な嫌われようだ。自分の造ったアンドロイドなんて息子も同然だろうに、これほど嫌われるとは何をしたのか。やはりエースとルフィを造った奴もアンドロイドをモノとしてしか見ていなかったのだろうか。

 エースは長く続く廊下を端から端まで移動し、地下への階段を降り始めた。どうやら階段は隠せる仕組みになっているらしいが、今はエースが上がってきたときのままだったのだろう、開きっ放しになっていた。
 金属でできた階段を下ると、研究室が現れる。長い間機関に在籍していたおれにとっては見慣れた景色だ。一番落ち着く場所と言えるかもしれない。
 設備が整っているとエースが言っていた通り、ここにはあらゆる機器が揃っていた。そして部屋の広さも十分にある。
 さすがに個人が入手するにはあまりにも大掛かりではないか。本当にたった一人で研究を進めていたのか、少し疑わしく感じる。後ろに何か、大きな機関でも無ければこんなにも設備を充実させるのは不可能ではないだろうか。

「この奥に、ルフィがいる」
 一つの扉の前で立ち止まって、エースは確認するように言った。柄にも無く少し緊張した気持ちを落ち着かせながら、エースに訊ねた。
「ルフィは今何をしてる?」
「寝てる」
「……睡眠中なのにいいのか?起きるまで待っても構わねえが」
「いや、ルフィは殆ど一日中寝てるから、会うなら起こさなきゃなんねえんだ」
「一日中寝てる?」
 アンドロイドが一日中睡眠を取る。そんなことがあるだろうか。ある程度の『充電時間』は必要だとしても、動かなければそう電池が減ることも無い筈だ。
 怪訝な顔をしていたのか、エースは「会えばわかる」と呟いて扉を開けた。

「ルフィ、おい、ルフィ。起きれるか?」
 壁にもたれて座っているらしいルフィの前にエースがしゃがみ込む。エースの影になっていて、おれからはルフィの姿がよく見えない。
「……ん。エース。……おはよう」
「ああ。おはよ。客が来てんだけど、今大丈夫そうか?少しだけでいいんだけどよ」
「んー。大丈夫だぞ」
「そうか」
 ほっとしたように言って立ち上がると、おれに譲るようにエースは横にずれた。それによってルフィの姿が顕になる。
 そしてルフィの姿を見た瞬間、おれは絶句した。

 ルフィは酷い怪我を負っていた。いや、怪我と表現するのが正しいのかはよくわからない。ただ、酷い状態であることだけは確かだった。
 左腕全体、そこを覆っていたはずの皮膚は裂け、内部が晒されている。よく見れば、内部の組織にもかなりのダメージを負っていて、正常に動作していない。
 最も酷いのは左頭部だ。傷の大きさとしては腕の方が酷いかもしれないが、やはり頭部となればダメージは大きい。たとえそれがアンドロイドであっても、『脳』へのダメージは全体に響く。

 おれはルフィの状態を見て、漸くエースが助けてくれと言ったことを理解した。
 確かに、どう見たってルフィは助けを求めなければならない状態だった。