05

 再びシャンクスは見知らぬ町を歩いていた。手にはルフィのファイルから抜き取った住所の書いてある白い紙と、先程手に入れたこの辺りの地図のコピーが握られている。
 あまり都会というわけでもないが、この前の町よりは幾分開けた場所だろう。単線だが電車も通っている。バスは需要が少ないのか日に数本通るだけだが、最寄り駅まで10分足らずだ。そう不便でもないだろう。
 此処は20年から30年近く前に開かれた郊外の住宅地といったところだろうか。あまり真新しい建物は見当たらない。ビルや高層マンションなどもない。ごく普通の2階建ての家が右にも左にも並んで建っている。
 丘の上にできた住宅地らしく、坂が多い。目指す建物はこの丘の頂上付近にあるらしい。地図によればその建物の周り10メートルほどには家が建っていないようだが、おそらくその土地の所有者が建物の所有者と同じだからだろう。家を建てようにも土地を買い取ることが出来ない。本人の居場所が掴めないのだから仕方ない。
 機関はもうアンドロイドの創造主と接触を果たしただろうか。おれに機関を去るという選択肢をチラつかせた以上、ある程度の居場所や足跡などは掴んでいて然るべきだろう。だが、一筋縄ではいかないという印象を受ける。常識で考えていては捕まらない。そんな人間のような気がする。

 駅から町並みを眺めながらゆっくりと坂を上り、漸く目的地が見えてきた。地図では家の周りは更地になっているようだったが、着いてみれば其処にも幾つかの建物が建っていた。
 中心に建っているのは地図通りの建物だろう。先程まで見てきた家とは随分と違う。平屋建てで横に長い。いや、一階しかないように見えて、此処にも同じように地下施設が隠されているのかもしれない。
 周りに建っているのは家というよりは倉庫のようなものだった。それが中心の建物を囲むように四方に建てられている。そして土地全体を囲むように白いフェンスが構えられていた。

 どう見てもこの住宅地には馴染まない建物だろう。建物も土地の広さも異色だ。それでも近隣の住民から怪しまれたりしないのは此処には長いこと人が住んでいないからなのかもしれない。
 フェンスの内側は雑草が生い茂っており、もう何年も手入れされた形跡がない。フェンスの入口らしきところにはかなり大き目の頑丈な南京錠が取り付けられていたが、それも錆付いていて長らく開けられた気配はなかった。
 もし人が住んでいて、怪しい実験をしているようなら住民から苦情の一つや二つは出るだろうが、人が住んでいないとなれば気にすることもないだろう。よくは知らないがそういう建物がある。その程度の認識しか残らない。

 だが、いくら人が住んでいなくても自分に残された手掛かりは此処だけだ。確証は得られなくとも次に繋がる何らかの手掛かりは手に入れたい。そのためには建物の内部に入らなければならないだろう。
 勝手に忍び込むのは気が引けないでもないのだが、そうも言っていられない。出来る限り人目につかないように建物の裏側からフェンスを乗り越え、内側に着地する。足に絡みつく雑草を踏み倒しながら中心の建物へと近付いていき、10歩ほど手前で足を止めた。
 窓が、開く。
 勝手に開いているのではない。窓にかけられた小さな手が見える。次いでその手は窓枠へと移り、身軽にも其処から子どもが一人飛び越えて出てきた。
 その様子に目を見開いていると、その子どもは躊躇うこともなくこっちに向かって一直線に歩いてきた。
 数歩手前で足を止め、おれを見上げて問う。
 おっさん、誰だ。
 突然のことにおれは驚きを隠せないでいた。それもそのはずだ。驚かないわけもない。
 窓から出てきた子どもには見覚えがあった。いや、見覚えがあるなんてもんじゃない。今だって顔写真の載ったファイルが手元にある。
「……お前、『エース』か」
 窓から出てきた子どもは少々癖のある黒髪に、そばかすが特徴的な10歳ほどの少年だった。あの地下室で見つけたファイルの写真と何ら変わりがない。一目で本人だとわかる。少なくとも3年は経っている筈なのに、その少年は全く成長をしていないのだ。
「おれを知ってんのか」
 エースは驚いた様子も見せずに言う。
 こうして対峙してなお、目の前にいる少年が機械であるとは思えなかった。少々大人びた雰囲気のある、ただの少年にしか見えない。
「ああ、知ってる。おれはお前たちを探して来たんだ」
「おれ、たち?」
「お前と……もう一人、此処には『ルフィ』がいるだろ?」
「………!」
 ルフィの名前を出した途端、エースの瞳の色が変わった。無表情だった顔にも警戒心を覗かせる。やはり此処にはエースとルフィの二人が暮らしているらしい。
「おっさん、何者だ。何でおれたちのことを知ってる。此処に何しにきた」
「おれは研究者だ。アンドロイドの、もっと細かく言えば人工知能の研究を専門にやってる」
「………研究者」
「お前たちを知ってるのは、二冊のファイルを手に入れたからだ。お前たちが3年前に住んでいた、地下に隠し部屋のある家だ。わかるだろ?そこのデスクの引き出しにあったファイルにお前たちの情報が載ってた。それで知った」
「………」
「此処に来た理由は、お前たちの足跡を掴むため、だな。まさか此処でお前たち自身に会えるとは然程期待してなかったんだが、ラッキーだった。これで無駄に動き回らないで済む」
「………それで」
「ん?」
「おれたちを見つけて、どうするつもりなんだ。何のためにおれたちを探してた」
「どうするつもり、か。その問いに対する答えはまだ持ってないな。おれはまだお前たちのことをよく知らない。どうするかなんてそれからでも遅くないだろ?何のためかと訊かれれば、それはお前らに、お前たちの人工知能に興味があったからだ。お前が知っているかはわからないが、人工知能ってのはまだ未完成で実用には程遠い代物なんだ。だがそれを完成させて実用化したアンドロイドが存在するという。お前と、ルフィだ。研究者としてこれほど興味をそそるものはない」
「おれたちを分解して人工知能を持って帰るのか」
「………いや。言っただろ?まだわからないって」
 そう言いながら、内心で自嘲する。わからないなんてよく言えたもんだ。最初からそのつもりで来たくせに。
 エースがあまりにも真っ直ぐに、何の躊躇いもなく「分解」なんて言葉を口にするもんだから、少し気圧されてしまった。誤魔化したところで全てバレているだろうに。まったく、大人ってやつはずるい生き物だ。

「お前たちは、3年前自らここにやって来たのか?」
「ああ。ここに来るのはおれが決めた」
「どうしてここなんだ?ここはどういう場所なんだ?」
「ここは、ルフィが生まれた場所だ。3年前に離れた町に移るまで、おれたちはここにいたんだ。そしてここでルフィが造られた。何でここに来たのか、それはルフィに必要だと思ったから」
 エースの受け答えは少しだけ“機械”であることを感じさせる。だが、その内容はあくまで人間の心理だ。
「ルフィに?何かあったのか?」
「………」
 エースがじっとおれを見つめる。どういう人間なのか、信頼に足りる人間なのか、それを計っているみたいに。
「あんた、研究者だって言ってたよな。」
「ああ。そうだ」
「それってつまり、おれたちみたいなのを造れるってことか?」
「……いや、お前たちと同等の存在を造れるかと訊かれれば造れないと答えるしかない。少なくとも今までのおれの研究ではまだお前たちが持っているような人工知能は完成してないんだ。だが、……そうだな。ここに来る前に手に入れたファイル、あれが手元にある以上、造れないとも言い切れない。完成見本があるものを造るのはそう難しいものでもない」
「人工知能が専門だって言ってたが、他の部分はどうなんだ。身体とか、そういう仕組みもわかるのか?」
「ああ。ある程度は知識として入ってる。一から造るには時間がかかるだろうが、造れないことはない」
「……そうか」
 そう呟いてエースは沈黙した。突然予想外の問いかけをされて一瞬驚いたが、エースにとってそれを聞くことに意味があったのだろうか。
 それにまだ、ルフィに何かあったのかという問いかけに対する答えは貰っていない。一問一答が基本だろうに、完成した人工知能というのはここまで人間らしさが出るものなのか。

「おれは普段、あの建物の中から出ない」
 エースはそう言って自分の後ろの建物を指差す。一階だけの、横に長い建物だ。
「ここには誰も住んでいないことになっているし、そう思われていた方が何かと都合がいいから。誰かが間違ってこの敷地内に入って来ても、ただ黙ってやり過ごしている」
「……そう、なのか?」
 エースが何を言いたいのかよくわからなくて中途半端な相槌しか返すことができない。
「今おれが外に出てきたのは、あんたが迷わずおれたちの家に近付いて来たからだ。今までフェンスを越えて入ってきた奴らは、ただ遊んでいてボールが入ってしまったからそれを取りに来た子どもとか、そういう奴らだけだった。だからおれもわざわざ出てくる必要がなかった。放っておいてもおれたちの家に入り込む心配がなかったからな。でも、あんたは違う。あんたは放っておいたら中に入ってきてしまう。だから出てきた」
「……どうしてそんなに中に入れたくないんだ?こうしておれに会ってしまってるんだから、姿を見せたくないだけじゃないんだろ?」
「姿は見せない方がいい。でも、会うのがおれだけならまだいい。ルフィを他人に会わせるわけにはいかない。だから出てきた」
「ルフィに?お前は随分とルフィを庇っているように見えるんだが、何か会わせたくない理由でもあるのか?」
「ある」
「それで、おれもルフィには会わせてもらえない、ってことか?」
「………」
「ルフィに会わせたくない理由ってのは教えてもらえねえのか?」
「………」
「おれもこのまま帰るわけにはいかねえんだがな」
「………ルフィに」
「ん?」
「ルフィに会いたいか?」
「……ああ。会えるなら是非会いたいところだ」
 エースはまた黙り込む。その姿は迷っているように見える。何に迷っているのか、本当に迷うなんて人間らしいことをしているのか、それはわからない。だが、話の流れからしてルフィに会わせてもらえるかもしれないという期待は沸いてくる。
「わかった。じゃあ、ルフィのところに連れて行く」
「本当か?」
「ああ。でも、条件がある」
「条件?」
「あんた、研究者なんだろ?アンドロイドが造れるってことは、修理も出来るはずだよな。ここには必要な機器は全部ある。だから、ルフィを助けてくれ。それが条件だ」
「………助ける……?」
「そうだ。この条件を飲んでくれるんなら、あんたの研究にもいくらでも協力してやる。おれの人工知能をくれてやってもいい。だから、ルフィを助けてくれ」
 突然の言葉に驚くおれに、エースは「頼む」と頭を下げた。