01

 部屋に元々備え付けられていた椅子に腰かけ、シャンクスはひとつ深いため息を落とした。最近ため息の回数が一段と増えている。
 だいたい、椅子なんてものは座れればそれだけで構わないだろうに、ここの椅子は一脚につき10万を軽く超える。座り心地がいいに越したことはないかもしれないが、他に金をかけるべきところがあるだろう。
 ……いや、違うな。
 有り余る金を持て余しているのだ。此処の連中は。
 金で出来ないことはないと信じ切っているし、湯水のように金を注ぎ込めば何をしても許されると思っている。だからあんなにも簡単に考えなしの発言ができるのだ。
 椅子に背を預け、軽く瞳を伏せる。思わずため息をこぼしてしまう。最近は何処までも煩わしいことばかりだ。

 もう一つため息を落としそうになったところで、ノックもなくドアが開かれた。そのまま許可も得ず部屋へと入ってくるが、咎めるような真似はしない。どうせそんなことをする奴はここには一人しかいないのだ。
 椅子から起き上がることも、目蓋を上げることすらしないシャンクスに、部屋に入ってきた男も少しも構うことなく馴れた風に口を開く。

「また揉めたらしいな」
「ああ。いつものことだ。気にするほどのことでもねえだろ」
「いつものことだから問題なんだろ」
 そうだ。これがただの思いつきで衝動的なものだったなら少しの間煩わしいのを我慢して聞き流していれば済むはずだ。
 だが厄介なことに相手も思いつきだけで言っているわけではないらしい。その執着心たるや見事なものだ。いっそ拍手すら送ってやりたくなる。
「やっぱりどうしても協力する気にはならねえのか?」
「わかってんだろ、ベン。おれァ何があってもあいつらの計画に協力してやることはねえよ。そこだけは譲れねえ」
「しかし此処にいるってことはあんただって多少なりともそれに興味があったんだろう?」
 そう訊かれて、シャンクスは漸く椅子から身を起こした。
「……そうだな。確かにあった。いや、興味だけなら今だってある。おれだって研究者の端くれだ。アンドロイドに感情を持たせること、それ自体には興味がある。研究者として成功させたいって思いもある」
「それでも、人間により近いアンドロイドを作るというあいつらの計画に協力しないのか」
「ああ。おれとあいつらは根本的に考え方に違いがあるんだよ。そんでおれはあいつらの考え方にはどうしたって共感することはできねえ」
 何度話してもシャンクスの意思には微塵も揺らぎがない。ここには変わり者と言われる奴らも、すこぶる頭の固い奴らも大勢いるが、それにしたってシャンクスほど頑固な男はいないだろう。
 しかし、だからこそベン・ベックマンはシャンクスという男を信頼していた。


 シャンクスやベックマンのいるこの場所は一言で言えば研究機関だ。目標とするところはアンドロイドの完成である。
 政府もこの機関の設立には一枚噛んでいるが、実際に設立までこぎつけたのは個人の投資家によるところが大きい。
 投資家なんて言葉を使えば大層ご立派な事業を行う機関のようだが、所詮は金持ちの道楽みたいなものだ。
 有り余る金を『アンドロイドなどという面白そうなもの』に注ぎ込む奴らがいれば、それを利用して研究を行おうとする奴らもいる。此処はそうやって成り立っている。
 シャンクスも此処でアンドロイドの研究を行う科学者の一人だ。アンドロイドの研究とは言っても、構成する全ての部分について研究を行っているわけではない。
 此処には多くの科学者がいるが、関節をより滑らかに動かすなどの身体の動きについて日々改良を重ねている奴らが大半を占める。基本的な仕組みが既に完成しているそれは、更なる小型化や高性能化を残すばかりとなっている。
 しかしそれとは異なり、未知の領域とされている部分がある。
 人工知能だ。
 アンドロイド自身が自らの経験から学ぶこと、そして感情を持つようになること。それがアンドロイド完成への大きな課題となっている。
 この研究の難しさは関節の動きなんかとはわけが違う。比べるべくもない。
 そのため、人工知能に関する研究に実質的に関与できるのはほんの一握りの有能な科学者だけとなっている。
 他の科学者とて個人で研究するぐらいのことはやっているだろうが、それが科学者の頂点で研究しているものに追いつくわけもない。
 シャンクスは人工知能の研究に携わるほんの一握りの科学者の一人であるばかりか、その中でも一目置かれる存在である。科学者の中ではアンドロイドの完成に一番近い男だと言われているし、実際そうなのだろう。
 だが、そんな存在でありながらシャンクスは人工知能により感情を持ったアンドロイドを作ることに反対し続けている。
 他の科学者からすれば納得できないだろう。当然だ。
 人工知能の研究を進めながら、実際にそれを使うのは反対だなんて矛盾している。使えなければ研究する意味もない。そう考えるのが普通だろう。
 では何故シャンクスはアンドロイドの完成に歯止めをかけるのか。ベックマンはシャンクスにそれを訊いたことがあった。
 シャンクスが飲みに行くのに無理矢理付き合わされた時だった。確かあの時もこの機関の出資者やら他の科学者やらと意見が食い違って揉めた後だったように記憶している。
 シャンクス自身もかなり苛立っていたらしく、然程得意でもない酒を無理に流し込んでいた時に聞いたことだ。

「例えば、だ。人工知能を完全な形で創ることが出来たとするだろ。そしたら自分の目で見て、触って、そうやって物事を認識していくようになる。認識するだけじゃねえ。そっから自分で考えるようになるんだ。そんで嬉しいとか悲しいとか、そういう今までずっと人間だけが持っていると思っていたもんをアンドロイドが持つようになる。それって、もう人間と同じなんじゃねえかと思うんだ。おれは。」
「それの何が問題なんだ?アンドロイドってのは人間に少しでも近付けることが目標なんだろ?」
「それ。正にそれだ」
「……わかるように言ってくれ」
「だからな、おれが言ってんのは、『近い』のと『同じ』ってのは違うってこった。おれは完成したアンドロイドは人間と同じだと思う。だがあいつらは同じとは絶対言わねえ。人間の感情を持ったって、口を揃えてこう言うんだ。『素晴らしい。このアンドロイドは極めて人間に近い』ってな。」
「………」
「あいつらにとってはアンドロイドはモノでしかねえ。人間の感情を持たせるとか偉そうなこと言っといて、何があったってアンドロイドを人間とは認めねえんだ」
 シャンクスは右手に持ったグラスを揺らしながらそう言って、眉間に皺を寄せてぐい、と酒を呷った。
 はあ、と酒臭い息を吐き出してグラスを置く。残された氷がカランと鳴った。
「なあ、この恐ろしさがお前にもわかるか?」
「ああ。確かに恐ろしい話だ。それは。」
「アンドロイドが完成したとして、あいつらは自分たちが持たせた感情を簡単に踏みにじるだろうよ。要らなくなれば廃棄だ。物だと思ってんだからそれに罪悪感なんて抱くはずもない。だがよ、アンドロイドの方はそうはいかねえ。人間の感情を持っちまったばっかりに人間扱いされないことで傷を負い続けるんだ。おれはこれほど恐ろしい話はねえと思ってる」
「それで人工知能を取り入れたアンドロイドを造ることに反対してるってわけか」
「そういうことだ。ただ人間を絶対的優位な立場に置きてえだとか、役に立つロボットが欲しいってだけなら感情なんか取り込むべきじゃねえ。それがわかんねえ限りおれはあいつらには協力できねえし、利用される恐れがある以上、たった一体だったとしても感情を持ったアンドロイドは造らねえよ」
 氷だけが残されたグラスを揺らしてウエイターを呼び、また新しい酒を追加する。そしてそれを口に含むと、シャンクスは少し笑って続けた。
「まあ、そうは言っても今のおれの研究じゃあ人工知能の完成には程遠い。おれが協力しようとしまいと、どっちにしたって感情を持ったアンドロイドの完成なんて今の時点じゃ夢だろうよ」

 それでも。今の時点では遠かったとしても、いつかは必ずやって来る。
 それに、シャンクスが人工知能の危険性に気づき、警戒しているのはそれだけ完成へと近付いているからだろう。完成の姿が全く見えず、ただ闇雲に理想の形を追いかけているだけならそんなこと考えもしない。少なくとも今まで見てきた科学者連中というのはそういった傾向の強い奴らだった。
 きっと科学者に限ったことではないのだろうが、何か一つのことに専心している奴の中にはそれ以外の何が犠牲になろうと構わないといった危ない考えを持つ奴が少なからずいる。
  恐れるべきは善意か悪意か。前者なのではないかと思うことがたまにある。


 シャンクスが人工知能の利用を否定する理由、その話を聞いてから一年近くが経つ。どうやらこの男の考え方はあの時から微塵も揺らいではいないらしい。
 だが、一年前と比べれば明らかに出資者や他の機関からの圧力は強くなってきている。そのせいで疲労やストレスも倍増していることだろう。今だってひどく疲れた顔をしている。
 この研究機関が簡単にシャンクスを切り捨てることはないだろうが、このまま我を貫き通すにも限界がある。いくら優秀だとは言っても、まだ20代。若い科学者の一人でしかないのだ。決して権威的な立場にあるとは言えない。
 ギリギリ保たれている平衡が崩れる時、それは恐れていた事態が起こる時だ。

 しかしこのたった数ヵ月後、ベックマンが抱いた不安の通り、シャンクスが反対していたことによって成り立っていた平衡は脆くも崩れ去ることとなった。