06

 ルフィの顔を見つめる。何も変わったところはない、と思う。頬を軽く抓ってみると、ルフィは「何すんだ」と声を荒げることもなく言った。
「……いや、悪い。なんか……よく、わかんねえ」
「大丈夫か?さっきからエースおかしいぞ?」
「おかしい。そうだ。おかしいよな。」
 思考が乗っ取られたみたいに感じるとか、処理できないとか、そんなことは今までなかった。どうして突然そんなことになったのかすらもわからない。頭がパンクしそうになるほどの情報量を目の前にしたわけでもないのに。
「やっぱりシャンクスのとこ行くか?診てもらったほうがよくねえか?」
「いや。大丈夫だ」
 大丈夫だと思う。突然のことに驚きはしたが、今は正常だ。ちゃんと頭も働く。
「ほんとか?無理してねえ?」
「ああ。してない。それより、あいつのとこ行ったらこのアトラクション乗れなくなるぞ。これ、乗りてえんだろ」
「そりゃ乗りてえけど、でもエースの方が大事だ。そのためならおれは別にこれに乗れなくても構わねえぞ」
「………大事?」
「そうだ。大事だ。おれな、よくわかんねえけどエースと一緒にいると落ち着くんだ。っていうより、エースがいねえと落ち着かねえ、かな。エースはそういうのねえか?」
「……お前は昨日おれの前に現れたんだぞ。昨日までの三年間、お前はいなかったわけだし、それが当然だったんだから落ち着かねえと思ったりしねえよ」
「そうか。そうだな」
 ルフィはそう言って頷くと、特に気にした様子もなく続きのわたあめにかぶりついた。
 おれはルフィの言葉を反芻する。
『一緒に居ないと落ち着かない。』
 そんなことはない、と思う。だが、ルフィの傍が妙に居心地がいいのは確かだ。
 昨日誕生したばかりだというのに、この妙に馴染むような感覚は何なのだろう。どこか懐かしいような。そんなはずがないのに。


 3時間の待ち時間も、それほど長いとは感じなかった。
 さすがに途中でルフィが文句の一つや二つ言い始めるのではないかと思っていたが、そんなことはなかった。周りを眺めてはいろんなものに興味を示してはいたが、それに向かって走り出すわけでもなく、3時間大人しく隣に並んでいたのは意外だった。
 何度か「退屈じゃねえか?」と訊いたが、決まってルフィは「エースがいるからな」と答えになっていないような返事を寄越した。

「おんもしろかったなー!なあ、エース!もっかい乗りたくねえかっ?!」
 アトラクションを降りてすぐ、ルフィは瞳を輝かせながら言った。だが、そうもいかない。さっきよりも人が減っているとはいえ、2時間近く並ばなければならないだろう。集合時間までもう1時間ほどしかない。
「もう一回並んでる時間はねえよ。夕方入口のとこに集合っつってたろ」
「んー。そうか。そら仕方ねえな。じゃあ、あれ!」
「あ?」
「あれ乗ろう!あれなら乗る時間あるか?」
 そう言ってルフィが指差したのは、観覧車だった。特別大きいわけでもない、普通の観覧車だ。混んでいるわけでもないし、待ち合わせまでには余裕だろう。
「ああ、あれなら大丈夫だ」
「よし!じゃあ行くぞエース!」
「わかったから引っ張んな」

 殆ど待ち時間もなく、観覧車に乗り込む。一周は20分弱らしい。きっと他のアトラクションを回る時間は残らないだろうが、ルフィは随分と楽しそうだ。まだ出発したばかりで眺めもよくないだろうに、窓に張り付いている。
 絶叫系の乗り物にしか興味がないものだとばかり思っていたので、観覧車に興味を示したのは意外だった。
「……お前って、掴みどころがないよな」
「ん?なんか言ったか?」
「いや、お前といると飽きねえなあと思ってよ」
 何しろ予想外の行動を次々に起こしてくれる。ずっと見ていても飽きないだろう。たまに妙な感覚に捕らわれて、調子が狂うようなこともあったりするけれども。
「それはエースがおれと一緒に居てえってことか?」
「………ん?」
「違うのか?」
 どうだろう。一緒にいて飽きないというのは、一緒にいたいとイコールではないだろう。
 だが、一緒にいたくないかと訊かれると、そういうわけでもない。
「おれはエースと一緒に居てえぞ?エースは?」
「……おれは、」
「おれと一緒に居んの嫌か?」
「嫌じゃねえけど」
「そうか!じゃあ、エースはおれと『一緒にいてもいい』んだな!」
 ルフィはそう言って、嬉しそうに「ししし」と笑う。
 おれが傍にいないと落ち着かないと言っていたから、一緒にいてもいいというのはルフィにとって大切なのかもしれない。
 それにおれも、一緒にいてもいいという言葉に嘘はなかった。


 観覧車が一周して再び地面が近付いてきた時、ルフィが「何だあれ」と窓の外を指差した。見れば、5歳くらいの子どもが一人で蹲っている。迷子だろうか。
 観覧車から降りて見かけた場所に向かってみると、子どもは一歩も動かずその場でぐずぐずと泣いていた。ルフィは興味津々な様子で駆け寄ると、躊躇いもなく声をかける。
「おめえ、迷子か?兄ちゃんいねえのか?」
「おい、そこは普通親だろ」
「ん?そうなのか?じゃあ、おめえ父ちゃんとはぐれたのか?」
 何でまた父親限定なのか。ルフィは自分を基準に考えているに違いない。ルフィには母親と呼べる存在がいないから、そういう考えに辿り着かないのだろう。
 しかし当の子どもは首は振るものの、泣きっ放しで上手く答えられないらしい。
「とりあえず案内所に連れて行くか。そしたら放送とかしてくれるだろ」
「おお、そうか。便利だなー。……で、案内所ってどこだ?」
「入口んとこにあったろ。覚えてねえか?」
「んー。あったような気もするけど、なかったような気もする」
「……覚えてねえか」
 まったく、入口付近で身体の動きが止まるほど視覚からの情報を取り込んでたんじゃねえのか。これじゃあ何のために止まってたんだかわからねえ。
「まあ、おれたちもどうせそっちに向かわなきゃいけねえし、ちょうどいいか」
「そうだな。シャンクス待ってるもんな」
「ああ。おい、お前歩けるか?」
 訊いてみても、ぐずるばかりで立ち上がる気配がない。5歳の子どもってのはこんなもんなんだろうか。自分が3歳で、更にルフィが0歳だと思えばおかしな話だ。
「……仕方ねえなあ」
 このままじゃ埒が明かないと、子どもを背負う。一瞬驚いたようだが、嫌がるわけでもなく大人しく肩に捕まった。
「あっ!ずりいぞ!」
「……ずるいって、お前なあ」
「エース!おれもおんぶ!」
「一度に二人は背負えねえよ」
「じゃあおめえ降りろ!エースはおれの兄ちゃんだぞ!」
「子どもに喧嘩売るなよ」
 どっちが年下かはよくわからないが、この場合はルフィの方が譲るべきなのだろう。おそらく、だが。


 入口に近付くと、解散場所と同じところに男は立っていた。おれたちを見つけると近付いてきて、おかしそうに笑った。
「なんか珍しいことになってんな」
「シャンクス!」
「よおルフィ。楽しんできたか?」
「おう!ずっとエースと一緒だったからな、すげえ楽しかったぞ。朝テレビで見たやつにも乗ったんだ」
「そうか。そりゃあ良かったなあ。で、エースがおぶってる子どもは誰だ?」
「迷子だ。さっき見つけた。案内所にな、連れて行くんだ」
「ほー。偉いじゃねえか。だが、その割にむくれた顔してんな、ルフィ」
「……何でもねえ!」
 ぷいっとそっぽを向くルフィに首を傾げて、おれに目を向ける。説明しろってことだろう。
「……おれがこいつをおぶってんのが気に喰わないんだと」
「おぶってんのが?ははは!そうか。なるほどな」
「何だよ。なるほどって」
「つまりルフィはやきもちやいてんだろ?」
「やきもち?」
「ああ。ルフィはな、エース。お前を独り占めしたいんだよ。なあ、可愛いじゃねえか。ガキには違いねえけどな」
 ルフィに目をやると、思いっきり頬を膨らませていた。なるほど。なんてわかりやすい奴だろう。
「だが、こうしてみると一日で随分と兄貴面になったなあ、エース。」
「……ルフィといたら、嫌でもなるさ」
「ははっ。そうだな。お前も楽しんできたか?遊園地。」
「あー…、まあな」
「そうか。そりゃあ何よりだ。しかし新しいアトラクション回ったなら時間あんまりなかったろ?他に何か乗れたのか?」
「ああ、最後に観覧車に乗った」
「……観覧車?」
「何だ?」
「いや、それは随分とベタなもんに乗ったなあと思っただけさ」
「ベタ?」
男は少し苦笑しながら言った。
「最後に観覧車って言ったら、思いっきりデートコースじゃねえか」



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