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 人間と共に暮らし始めて感じたことといえば、第一に面倒臭い、第二に理解に苦しむ。この二点に尽きる。
 栄養補給のための食事は美味くなければならないし、飯が美味くあるためには『家族』は揃っていただきますをしなければならないという。そのくせ明らかに失敗した黒焦げの飯を「お前が作ってくれた料理が不味い筈がない」と残さず食べる。自分が作った飯なら「これは喰えたもんじゃねえなあ」と顔を歪めるのに、その何倍も失敗した飯をうまいうまいと笑顔で平らげるのだ。
 まったくもって人間ってやつは理解出来ない。

 人間ってのは感情的だが理性のある高尚な生き物だ、と酒臭い息を吐きながら男は言った。高尚な生き物の割には二日酔いで気分が悪いと言いながら、夜になればまた懲りずに酒を飲む。
 何が理性的な生き物だ。感情と欲のままに生きてんじゃねえか。
 おれがそう言うと、男は「なんだ反抗期か。お前もそんな歳になったのか。いやいや随分と早えなあ!」と豪快に笑った。

 もしもおれが外見通りの年齢であったならば反抗期なんてものはとっくに来ていてもおかしくないのだが、実際にはおれはまだ3年しか生きていない。いや、生きるという表現は正しくないのかもしれないが、しかしここで哲学的な話をするつもりもない。とにかく男に言わせれば、おれは生後3年しか経っておらず、まだまだ甘えたい盛りのやんちゃ坊主であるらしい。
 実に心外だ。
 おれは予め設定された通り、男子高生として相応しいだけの知識と理性は持ち合わせている。いや、知識の面で言えば学年首席なんてわけもないし、年中二日酔いのおっさんに比べれば随分と理性的だろう。まったく、これで四十が近いと言うのだから聞いて呆れる。

 そのおっさんが突然「お前に弟をつくってやろう」と言い出した。また酒の上の戯れ言だろうと聞き流していたが、どうやら本気らしい。なんでも前々から計画は進めていて、もう完成間近であるという。
 普通、弟をつくると言えばそれは性行為を意味するのだろうが、しかし俺たちの場合は違う。文字通り『造る』のだ。
 3年前に自分が造られたとき、どうやったのかは知らないが、今回も同じような手順を踏むのだろうと思う。まったく同じものを造るのではないから多少いじりはするのだろう。それがどんな風に影響してどんな性格になるか完璧にはわからない。ある種賭けみたいなもんだ。そういう点では人間と一緒なのだという。

 男は非常に楽しそうに笑っていたが、おれにとってはこれといって興味を引くものでもない。
 おれの弟と男は言うが、結局は人為的に造られた別々の個体でしかない。完成すれば共に生活することになるのだろう。面倒な奴でなければいい。それだけだ。



 弟の話をしてから一月、然程強いわけでもないのに酒好きで、毎日浴びるように飲んでいた男が酒断ちをしたまま研究室に籠り続けて一月が経った頃、漸く出てきた。ただの気紛れと思いつきで一月も酒を我慢できるような男ではないので、それだけ本気だったということなのだろう。
 睡眠も食事もろくに摂っていなかったのか、やつれた顔に隈が酷い。身体は資本だろうに。無茶をする。
「悪いなあエース。一月も放ったらかしにしちまって。寂しかっただろ。ほれ。甘えてもいいぞ」
「うるせえよ」
 うっかり心配しかけたが、これだけ軽口が叩ければ問題ないだろう。
「飯は?喰うんなら作るけどよ」
「じゃあ軽く頼む。そしたらちょっと寝るから、夕方起こしてくれ。そんで今晩はご馳走にしよう。3人前な」
「3人?ってことは」
「ああ、お前に弟が出来た」
 さらりと笑顔で男は言った。

 弟。それは二体目のアンドロイドが完成したということだ。
 しかし研究室から出てきたのは男一人で、それらしき姿はまったく見当たらない。それについて怪訝な顔でもしていたのか、男は「ああ」と頷いて研究室を指差した。
「まだあの中にいる。いま『学習』中だ。お前も最初に読み込みやったろ?あれをやってんだ。チップ3枚分だからな、もう暫くかかるだろ」

 そういえば起動されて一番最初にやったのがプログラムやデータファイルのインストールだった。男はそれを学習だと、まるで人間がするように表現する。
 人間のような扱いはそれだけではない。本来ならアンドロイドである自分は食事を摂る必要はないのだ。適度な充電と粘膜などの水分補給用に特製のジェルを一定時間おきに体内に入れればそれだけで事は足りる。
 それにも拘わらず男は食事を摂ることを求める。わざわざ必要ないはずの消化器官を苦労して作ってまで、だ。
 どうしてそんなことをするのか、おれにはどれだけ考えたところで、どれだけデータベースで検索したところで答えが見つからない。大切なことだと男は言うけれど。



 そのとき、男の背後で研究室の戸が突然開いた。男は少し驚いたように振り返る。そのかげに隠れて、中の様子はよく見えない。
「なんだ?やけに早いな。ちゃんと渡した3枚頭に入れたのか?」
 その口ぶりからして、そこに新しいアンドロイドがいることが予想できる。
 新しいアンドロイド。おれの弟。
「いや、まだ一枚残ってんだけどよー。あれすげえ眠くなるし、もう飽きた。んー!つかれた!そんではらへった!シャンクス、飯!」
 予想していたよりは幾分高い声が響く。同時に聞き慣れた男の笑い声も。
「そうか。眠くなるか!お前は随分と勉強嫌いに生まれついちまったみてえだなあ。まあ、それもいい。とりあえず先に飯喰うか」
「おう!」
「……っと、その前に紹介が先だな」

 そこで漸く思い出したように振り返ると、かげに隠れていたもう一人をおれに向き合わせる。
「エース。こいつがお前の弟のルフィだ」
 きょとんと目を真ん丸くしておれを見上げるそれは、予想より幾分小さくて、そして遥かに幼い顔つきをしていた。おれより2つ3つほど下の弟になると聞いていたのに、5つほど離れてみえる。
「そんでルフィ。こいつはエース。お前の兄ちゃんだ」
 男がそう言うと、『弟』は突然満面の笑みで飛び掛かってきた。
「エース!エースっていうのか!おれの兄ちゃん!そっかあー。エース!よろしくなっ!」
 にっしっしっし。
 そいつは歯を剥き出しにして嬉しそうに笑った。