船をとめた港から少し離れて、ルフィは野原の上にごろんと寝転んだ。草木から漂う自然の青い匂いに包まれながら空を見上げる。視界に広がるのは何処までも澄んだ青一色だ。
 海も空も山も、自然とは雄大な青でできているらしい。

 頬を撫でる風の心地よさにうとうとし始めたころ、青い匂いに混ざって食欲をそそる飯の匂いが漂ってきた。船の近くでサンジがうまい飯をこさえてくれているところなのだろう。
 今すぐ駆けて行っても、きっとサンジは嫌そうな顔をしながらも有り合わせとは思えないくらいうまい飯を出してくれる。
 ったく仕方がねえなあ。これ食ってちょっと待ってろ。
 そう言いながら、とびきりうまい飯をおれたちのために用意してくれるのだ。
 料理をする時のサンジはとても手際が良いのだけれども、それと同じくらい凝り性でもあるので、メインの料理には少し時間がかかることがあった。そういう時、おれは大きな声で鳴く腹の虫と戦わねばならなくなる。いくら繋ぎの飯を食ったところで、サンジの作る飯の匂いはすぐに空腹を誘うからだ。

 サンジが納得する料理が出来上がると、おれたちはみんな揃って飯を食う。誰一人として欠けてはならない。誰が言い出したわけでもなく、これは暗黙の掟である。
 おれたちはきっと、みんなで食べる飯のうまさを知ってしまった贅沢者なのだ。家族で食卓を囲むという当たり前の光景が、決して当たり前には手に入らぬことをおれたちはとてもよく知っている。知っていればこそ、この贅沢は簡単には手放すことが出来そうにない。

「腹減ったなー」
 うまい飯の匂いに身体は正直だ。腹の虫が大きく唸る。だが、草の上で寝転んでいるのも存外気持ちが良くてなかなか起き上がる気になれない。
 ぼんやりと空を眺めていると、草を踏み分ける足音が近づいて来た。顔の上に影がかかったと思えば、緑色の頭が視界に入る。
「こんなところで何してんだ」
「………んー…。ぼーっと。眠いなーとか腹減ったなーとか思いながら、ぼーっとしてんだ」
「そうか」
「そろそろ飯かな」
「いや、もうちょいかかるらしい」そう言うと、音も立てず静かに隣に腰を下ろす。「腹減ってんのか」
 それに答えるより先に、腹の虫が大きな声で遠慮なくぐうと鳴いた。正直者である。
「おう。サンジの飯は匂いもうめえから、腹が減ってしょうがねェ」
 腹を擦りながら言うと、そうだな、と小さい声が返ってきた。そうだな。ちらりと目をやると、その小さな声を掻き消すように風が吹いた。

 身体を起こして、正面から見る。じーっと見ていると、「なんだよ」と眉間にしわを寄せた。
「おれはなあ、おれの船には気に入った奴しか乗せねェって決めてんだな」
「………なんだいきなり」
「つまりあの船にはおれの大事なもんばっかりが乗ってんだ。ゾロも、ナミも、ウソップも、サンジも、チョッパーも、ロビンも、フランキーも、ブルックも、それからサニーも、みんなおれの宝物だ。誰一人として欠けちゃいけねェ。他の誰も代わりにはなれねえし、そいつがそいつじゃねえと意味がねえ。と、おれは思っている」

 今までの冒険を振り返るのは簡単だ。船を見渡せば、そこに冒険の軌跡がある。それらは鼾をかきながら寝ていたり、飯を作っていたり、釣りをしたり読書をしたりといつも自由気ままに過ごしている。
 それでいいのだ、と思う。それでなければならない、とも。
 おれはこれからもこの軌跡たちを引き連れて、新たな軌跡を描きながら海を進んでゆくのだ。

「もしもゾロが腹巻きをしていなかったとして、そのゾロを仲間にしたかというと、たぶんしただろうなあと思うけども、ゾロがサンジみたいなうまい飯を作る奴だったとしたら、仲間にはしなかったのかもしれない。おれが海賊王になるのと一緒で、ゾロは大剣豪になる男だから、料理は作れなくて良いんだ」
 ではサンジはと言えば、サンジは海で一番のコックだから、料理は作るけれど病気の治療は出来なくていいし、チョッパーは人間なぞに負けぬ立派な医者だから、航海術を持っていなくていい。
「誰も代わりになれねえから一人ひとりが大切な仲間なんだ」
「……今日は随分とくさい台詞を吐く」
「うん。そうだな。ではくさいついでにもう一つ言っておくけども、おれにとってはそりゃあ仲間は大切なんだけど、あの船に乗っていなければ仲間ではないかと言うと、そんなことはねえんだ。ビビとか、カルーとか、船に乗っていない奴もいる。でも二人ともずっとずっとおれの大切な仲間であって、一緒にいるとかいないとか、そういうのは関係ねえんじゃねえかと思う」
「………」
「もっと言えば、仲間というわけでなくても大切な奴はいる。シャンクスとか、エースとか、じいちゃんとかもそうだし、友達だってそうだ。仲間と友達のどっちが大切かって言われても、比べることなんてできねえ。全部、全部丸ごとおれの宝だ。うん。宝、なんだな」

 風の通り抜ける先に、花が揺れている。あれは黄菖蒲というのだと、いつだったかロビンが教えてくれた。群生するそれは名前通りの鮮やかな黄色をしている。
 青に黄色はよく映えた。

「実は最近よく言われるのだが、おれはどうやらとても欲張りらしく」
「口調が」
「うん」
「いつもと」
「うん」
「ところどころ少し違っているのは」
「そう」
「…そうか」
 緑色の頭を俯けて、目を閉じると、もう一度小さく「そうか」と呟いた。

 二人の間を風が通り抜ける。それに乗せられた飯の匂いが鼻をくすぐった。誘われているのだと思った。お前たちを待っているのだと、そう言われているような気がした。

「どうやら、そろそろ飯が出来るようなので、一緒に行かないかと思うのだけども」
「おれは」
「うん」
「最近、海賊王とはこの世で一番欲張りな奴のことを言うのではないかと、思ったりする。海賊王ってのは、この世の全てを手に入れた男のことを言うのだから、そうでなければならないんじゃないかと、そう思う」
「うん」
「そしてお前は海賊王になる男だから」
「そうだ」
「だから、」
 空を仰ぐ。一面の青を。
「だからたぶん、それでいいんだ、と。今、思った」
「そっか」
 そうだな、と頷くと、笑う。その顔には大変見覚えがあるぞ、と思った。



 後から行くと言うので一人浜辺に戻ると、そこには冒険の軌跡たちが集まっていた。いつも食卓を囲む面々のうち、あと一人、足りない。
「おー。呼ぶ前に戻ってくるとはさすがだなあ、お前の腹は。」エプロンを身に着けたサンジがお玉を片手におれに言う。「あと一人来てねえ奴がいるんで、呼んで来てくれ」
 おう、と返事を返して船に向かう。いつも通りの場所で、鼾をかきながら寝ている男の横にしゃがみこんで、鼻を摘んだ。
「……げほっ!ごほっ!てめえ!いきなり何すんだ!」
「いやあ、ゾロだなあと思って」
「はあ?」
「うん。ゾロだ」
「いや、意味わかんねえ。……何かあったか?」
「んー。おれはなあ、いろいろ考えるのとか、説明すんのとか苦手だ」
「そりゃそうだろうな。お前は考えるより先に身体が動く奴だから」
「そうなんだよなあ。でも、おれなりに一生懸命話したので、伝わったんじゃねえかなあとは思う」
「誰に」
「それは秘密だ」
「……あ、そ」


お前は誰の代わりにもなれないし、何より誰もお前の代わりにはなれない。
だから、いつだってお前はお前のまま来ればいいのだ。










ボンちゃん。



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