徐々に伝説となりつつある、海賊王と呼ばれた男とは何度も対面した。
 同時代に生きた。闘った。そして見送った。決して仲間ではなかったが、だからといって敵というただ一言に表せるような簡単な間柄でもなかった。
 昇進を望むわけでもない。手柄なんぞ他の奴にくれてやっても構わない。組織特有のしがらみを面倒だと感じたことも数知れない。それでも海兵であり続けたのは、後に海賊王と呼ばれることになった男と戦うためであった。それが全てではなかったが、いつの間にか自分の中で多くの割合を占めることになっていたのは確かだった。
 センゴクに怒られ、おつるちゃんに呆れられながらもひたすらに追い続けた。毎日毎日飽きもせず、この手で捕えてやるのだと謳った。
 そんな男が自首をし、処刑されることになった時、海兵である自分の中に大きな空洞が出来たような気がした。インペルダウンに進入して来たシキと己とは、立場は違えどその想いは然して変わるものではなかったのかもしれない。

 海賊王と呼ばれた男。ゴール・D・ロジャー。その息子を預かることになった自分が、己のことを「じいちゃん」と言い、子どもを孫と呼んだのは偏に孫であるルフィの存在があったからだ。
 あまりにじいちゃんという呼び名になれすぎて忘れそうになるが、確かに自分はルフィが生まれるより前には「ガープおじさん」と名乗っていたのだ。
 海兵である自分が堂々と海賊王の息子を育てられる筈もなく、世間から隠すように山の奥に住む知人に託した。毎日会うわけでもない。血も繋がらない。だがそれなりに思い入れのある子どもだった。里帰りをした時には会いに行く。お土産におもちゃを買うこともあった。実の孫ではなくとも、喜んだ顔を見ればやはり嬉しかった。
 その子どもが三歳になった頃、孫が生まれた。海兵の子でありながら独自の思想を貫き、好き勝手に生きる息子の一人息子はルフィと名付けられた。
 初孫だった。ルフィは確かに初孫であった筈なのに、抱っこした時、泣き叫ぶルフィをあやした時、喜ぶ顔を見た時、既視感を抱いた。息子を抱っこした時とは違う。だが確かに経験した重み。それが三歳になった子どもが赤子であった時の記憶と重なったとき、今自分が抱いているのは初孫ではなかったのだと思い知った。

 エースは家族だった。血の繋がりだとか、己が戦った男の子どもであるとか、そんなくだらないことはどうでもいい。エースこそが初孫だったのだ。
 ルフィとエースへ向ける想いに隔たりなど何処にもない。孫だった。二人とも、どうしようもなく己の家族だった。

 海賊王の子どもであるエースと、海賊に憧れ始めたルフィを会わせるのは危険なことには違いなかった。
 海兵でありながらこんなことを言えばまたセンゴクには怒られ、おつるちゃんには呆れられるのだろうとは思うが、それでも自分は海賊の全てを否定するわけではなかった。残虐の限りを尽くす救いようのない海賊も多くいる。むしろそういった海賊の方が圧倒的に多い。だが、そんな海賊ばかりでもなかった。少なくとも、そういった意味で己はゴール・D・ロジャーという男を認めていたのだ。
 しかし、海賊は決して正義ではなかった。それが正しいかどうかは己にはわからない。この先、この時代が歴史と呼ばれるようになったとき、遥か未来の人間が判断するのだろう。その評価が善か悪かなど、その時代の人間にはわかる筈もない。それでも、大海賊時代と呼ばれるこの時代では海賊は悪に他ならなかった。
 世間的な悪に身を染めれば、それだけ危険が付き纏う。海賊王の息子となれば尚更だった。
 それを知りながらエースとルフィを会わせたのは、エースに世界の広さを教えるためだったのではないかと今になって思う。自分の知っている世界だけが全てではない。己の存在を否定するばかりが世界ではないのだと、実感させたかったのかもしれない。

 結果として、二人して海賊の旗を掲げ、海に出ることになってしまった。それを知ったときにはやはり頭を抱えた。しかしその生き方を全て否定するつもりは毛頭なかった。
 海賊になることを止めようと思えば止められたのだ。力づくで抑えつけて、海へ出れぬように縛り付けて、そうやって阻むことも不可能ではなかった。己の手で捕まえて、最弱と言われる東の海へ連れ戻して、また山の中で隠れるように生活させてもよかった。
 だが、そうしなかった。
 世界を知り、自分の思うままに生きる姿を否定したくはなかった。危険なことも重々承知の上だ。それでも孫だった。大事な家族だった。海賊だろうと何だろうと、愛すべき孫以外の何者でもなかった。

 たとえ海賊王の息子だろうと、世界最悪の犯罪者の息子だろうとも。
 健やかにあれと願った。ただ、それだけでよかったのだ。



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