果たしてこれはこの世の光景だろうか、と思う。海は凍っているし、そうかと思えばぐつぐつと煮え返っていたりする。崩れた地面は水平である部分を探す方が難しく、誰の血かもわからない真っ赤な血があちこちに散っていた。
 平穏無事な生活をしていた奴はもちろん、戦いの日々を強いられる海兵や海賊ですら、この光景を見れば地獄絵図と言うだろう。
 それくらい酷い状況だった。それがたった一人の男の処刑をめぐって引き起こされたものだと思えば尚更酷く、性質の悪い話だと、人事みたいにそう思った。
 けれど、おれがこの世のものだろうかと疑ったのはそんな酷い光景では決してなかった。血も炎も粉塵も、そんな背景は目に入らぬほどおれの目を引いたのはある男の一筋の涙だった。
 目にした瞬間、おれは思わず目を疑った。誰よりも涙の似合わぬ男が零した涙は、おれが言葉を失うには十分だった。

 固まったように動けずにいるおれとルフィの元に、ジジイは無言で歩いてきた。おれたちがまだ東の海にいた頃には、幼い頃に植え付けられた恐怖からか、ルフィはジジイを前にするといつものような機敏な動きが出来なかったりもしたが、今動けないのはきっとそれとは違うのだろうと思う。
 いつもおれたちに無茶ばかりを強いて、何事に対しても大声で笑い飛ばしていたジジイが、怒ったような無表情で、そのくせ瞳にいっぱい涙を浮かべておれたちを見下ろす。
 そうして、この大馬鹿者が、と言いながら片腕でおれを、もう片腕でルフィを抱き締めた。
 わしの孫は二人揃ってちっとも言うことを聞かん。心配ばかり掛けおって。少しはじいちゃん孝行しろ。この馬鹿孫ども。
 首に回された腕が、微かに震えているのが伝わる。いつも、どんなに突っ掛かって行っても、全体重でぶつかりに行っても、びくともしなかったあのジジイが、おれとルフィを抱き締めて、まるで普通の男みたいに震えている。

 ルフィが小さな声で、じいちゃん、と呟く。回された腕にまた少し力がこもった。
 海軍の英雄と言われた男が、賞金首の海賊二人を抱き締めて、そして言うのだ。

 無事で、よかった。

 肩口に、熱い雫がポトリと落ちたのがわかった。いつも大きな声で笑ってばかりだったジジイが、大袈裟に鼻を啜る音が聞こえてくる。落ちた雫が傷ついた身体の上を伝った。

 痛かった。今まで喰らってきたジジイの拳骨よりも、誰に負わされたどんな傷よりも、ずっとずっと痛かった。
 こんな風に泣かれるくらいなら、拳骨百発喰らった方が随分とましだったと、ジジイと同じように鼻を啜りながら、そう思った。





愛にしたたかに殴られる/title by 天来



back