春だなあと思った。やわらかい日差し、あたたかな陽気。溜め込んでいた洗濯物を一気に洗って、ついでに布団も干してしまう。
 しかしこの間は酷かった。久しぶりに訪れた洗濯日和を逃すまいと大量に洗った途端に土砂降りの大雨だ。何処ぞの海の上じゃあるまいし、気まぐれな天候は勘弁してもらいたい。
 たまにやって来る航海士の女に、今日は一日天気がいいだろうか、と訊くと、私の知識と才能をたかが洗濯に使わないでくれるかしら、と怒られる。
 たかが洗濯。されど洗濯。うちには折角のかわいい服を毎日泥んこにして帰ってくるこどもがいるので、洗濯はそれはもうとても大事なのだ。
 しかしそれは航海士もよくよくわかっていた。私の予報は高いわよ。そう言いながら、金を巻き上げていったことはまだ、ない。
 今日は快晴、絶好の洗濯日和だわ。でも夕方から一雨くるわね。

 布団をバシバシと叩きながら、おれはいつの間にこんなに所帯くさくなっちまったんだろう、と思う。
 昔は海賊だった。天下の白ひげ海賊団二番隊隊長。それがおれだった。世界最強と謳われた男を親父と慕い、親父の名を汚す奴は許しちゃおかねえ、と周りも見ずに好き勝手に暴れ回って多額の懸賞金をつけられ、それを誇りに思っている。とんだ跳ね返りなガキであった。
 しかしいつも自由に航海していたかと言えばそうでもない。深海の大監獄、インペルダウンに収容されたこともあったし、世界の最高戦力の集う海軍本部の処刑台で処刑を見世物にされそうになったこともあった。
 自然系悪魔の実の能力を持ったことで、自分の強さを過信していたおれは無様な敗北を喫し、海へ出て三年目にして改めてあの海の広さを知ったのだ。
 グランドラインと呼ばれる、海賊たちの跋扈する海。あの海は広かった。とんでもなく、広かった。信じられねえくらい強い奴も、懐の深い人も、決して折れねえ信念を持った奴も、全てがあの海にあった。

 ちょこまかと後ろをついて来るこどもを振り返ると、はらがへった、とそいつは言った。言葉遣いが悪い、とおれは眉を顰める。こどもはそんなことには少しも構いやせず、めし!と叫んだ。

 あの地獄のような海軍本部で世間的には一度死んだことになった後も、おれは海賊だった。あんな命の危険を冒しておきながら、それでもまだ海賊であり続けた。海賊でいることは即ちおれがおれであることであった。
 自分が海賊でなくなるのは一体どういう時だろうか、と漠然と考える。戦いに明け暮れてある日ぽっくり死んだとして、それは命の終わりではあるけれども海賊の終わりではないのではないかと思う。死ぬまで海賊なら、死んだ後も海賊だ。
 果たしておれが海賊でなくなる日がいつか来るのだろうか。
 そんな風に思っていたおれの海賊生活に終止符を打ったのは、何てことはない、二代目となる海賊王の誕生だった。

 昼飯にオムライスを作ってやると、こどもは口の周りをべたべたに汚しながら喜んで平らげた。口の汚れを拭ってやると、胡坐をかいた膝の上に乗ってくる。手を伸ばして爪切りを掴み、こどもの手の爪を一つずつ揃えてやる。
「お前は本当に父親にそっくりだなあ」
「父ちゃん?」
「そう、父ちゃん。お前の父ちゃんもよくおれの後をついて回って、腹が減っただの何だの騒いで、本当にやかましい奴だった。海に出るまでは毎日毎日おれに挑んできたけど、おれは一回もお前の父ちゃんに負けたことはなかったんだぞ」
「へー」
「知ってると思うが、お前の父ちゃんはなあ、海賊王なんだ。海賊王なんだよ」

 モンキー・D・ルフィという名の海賊が海賊王の称号を手に入れた時、世間は驚きに包まれたという。度々世間を騒がせてはいたが、麦わらのルフィなぞ他にも数多いる海賊の一人にすぎない。所詮はルーキーで、新世界に入れば叩き潰されて終わりだろう。そう思われていたらしい。
 世界中の人々が驚いたのは何よりその若さだった。元々顔つきが幼いため、出回った手配書から実際の年齢よりも少し下に見られたせいもあるのだろうが、実際の年齢を知ったところで驚くには違いないだろう。たった数年の航海だった。それだけでルフィは何十年と航海を続け、新世界で名を馳せた海賊たちを押しのけて海賊王の座を手に入れた。
 昔から、海賊王になるのだと言って聞かなかった弟は、その言葉通り夢を現実にしたのだ。
 そしておれは海賊生活に別れを告げた。未練はなかった。おれにとってそれはひどく自然なことだったのだ。

 長閑な田舎の村でのんびと暮らしていたおれのもとに突然海賊王である弟がやって来たのは、それから何年か経ったときのことだった。
 相変わらず海賊王とは思えぬ軽装で、仲間を引き連れているわけでもない。連れているのは、たった一人の小さなこどもだけだった。
 久しぶりだなあ、エース。
 昔から変わらない笑顔でそう呼びかけて、手を繋いでいるこどもを指差す。
 これ、おれのこどもなんだ。じゃ、あとよろしく。
 おれが呆気に取られている間にルフィは消えた。おれのこども。おれのこども。まるで異世界の言葉みたいに聞こえた言葉だったが、残されたこどもの顔を見てしまったらもうその言葉を受け入れるしかなかった。
 こんなに片親だけに似ることがあるのだろうか。そう思うくらい、こどもはルフィにそっくりだった。

「ルフィの顔の傷を消したら、お前はまんま小さい頃のルフィだな」
「そんなに似てるのか?昔の父ちゃんに」
「ああ、そっくりだ。でも泣くなよ。女の子は母親より父親に似たほうが美人になるといつだったか聞いたことがある」
「何で泣くんだ?父ちゃんと似てて嬉しいぞ、おれは」
「そうか」
「なあなあ、目の下のとこに傷作ったらもっと父ちゃんに似るかな」
「馬鹿なこと言うのはおやめなさい!」

 ルフィの愛娘であるこどもは、何から何までルフィにそっくりだった。顔も、言葉遣いも、笑顔も、目を離せば無茶ばかりするところも、そして海賊に憧れるところも。
 ルフィのこども。つまり、海賊王のこども。そう、おれの膝の上に乗って、振り返っておれを見上げるこのこどもは、海賊王のこどもなのだ。

「父ちゃんのこと好きか?」
「おう。おれ父ちゃん大好きだ!」
「海賊でも?」
「かっこいいじゃん、かいぞく!」
「海賊なんて、みんなから嫌われる職業だぞ」
「みんなはみんなだ。おれは父ちゃん好きだ。かいぞくも好きだ。だからいいんだ」
「そうか。そうだな」

 おりゃっ!とこどもを抱き締めると、こどもは笑いながら喜んだ。
 春だなあと思った。やわらかい日差し、あたたかな陽気、こどもから漂う幸せの匂い。こどもはルフィにそっくりだった。

 玄関の戸が開く音がして、条件反射みたいにこどもが駆け出す。その後を、やれやれとおれは歩いてついて行く。玄関から入ってきたのは予想通りの人物で、こどもは抱き着き、そいつはそれを軽々と抱き上げた。
「おかえり!父ちゃん!」
「おう、ただいま!エースも!」
「お前なあ、ただいまじゃねえだろ。娘置いて冒険冒険っていつになったらお前は海賊卒業するんだ」
「んーそうだなあ、世界のおもしれえもん全部見て、おいしいもん全部食うのを3回くらい繰り返したら卒業してもいいかもしんねえなあ」
「お前は一生卒業できねえよ」
「かもな!」
 そう言って、昔から何も変わらない笑顔で、ししし、と笑う。
「ったく。」
「なあ、父ちゃん。父ちゃんばっかりずりぃぞ!おれも海に出てえ!」
「なんだ。おめえも冒険してえのかー。そっか!じゃあ一緒に行くか!」
「ほんとか?!」
「おう。冒険は楽しいぞー!」
「………。」
 おれはそんなルフィに、拳骨一つくれてやった。

 ルフィにそっくりなこどもは、きっといつか言い出すのだろう。海賊王になる、と。
 今でさえ海賊に憧れきっているこどものことだから、三代目海賊王に、そして女として初めての海賊王になると言い出すのは目に見えていた。
「海賊なんて危ないことさせるか!」
 それでもこんなことを言ってしまうのは、いつの間にか培われた親心ってものだろうか。
「エースだって海賊やってたのになー」
 ルフィが呟く。おれはそれを聞きながら、何だか知らねえけど、まるであのジジイみたいなこと言っちまったなあと、そんなことを思った。






荒野はいつか畑となるよ/title by 天来



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