石畳の回廊を抜けた先、20年間姿を晦ませていた男は今そこに囚われている。海楼石で造られた一際厳重な檻のあるその部屋に入ると、冷えた空気が肌を撫でた。それに構わず檻の前まで進む。靴音が薄暗い中に響いた。
 男の正面になる位置にどかっと腰を下ろす。檻の向こう側にいる男はそれに気付いているだろうに、舵輪の刺さった頭を俯けて瞳を閉じたままだ。
 それにしても頭に舵輪とはけったいな。初めて見る、刀剣に変わった両脚よりも、20年以上前に何度となく見た舵輪の方に目がいく。海賊共を相手にしていると風変わりな姿の者もそれなりによく目にするが、頭に舵輪が刺さったまま生きている男というのは目の前にいる男を除いて他に見たことが無い。そんな姿で健在とは、しぶとい奴だ。だが、それは己にも当てはまることだろう。
 20年も前に処刑されたロジャー。今なお生きているシキと己。果たしてどちらが流れゆく時代に取りこぼされたのか。

 20年ぶりとなるその姿を一頻り眺めて、ふうと息を吐き出す。腕組みをしてもう一度目を檻の中に向けて口を開いた。
「インペルダウンに二度も収容されたのはお前が初めてだな」
 薄く目を開いたのはわかったが、動きはそれだけだった。顔を上げぬままのシキの低い声が響く。
「……ああ、そりゃあそうだろうよ。ここから出て行ったのはおれが初めてだ。だが最初であっても最後ではなかったみてえだな。20年ぶりに戻ってきたってのに此処は随分とシラけた場所になっちまったもんだ。なあ、ガープ。お前やセンゴクがまだ海軍に居座っているってのに、一体どれだけの脱獄を許した」
 瞳だけを此方に向けて、ニタリと笑う。その嫌味な笑いに、フンと鼻を鳴らした。
「何人だろうと全員またぶち込んでやるわい」
「無駄だな。海軍の奴らが躍起になってもう一度全員を捕えたところで、此処は以前のままには戻らねえ。わかってんだろう?此処はもう鉄壁でも何でもない、脱獄可能な監獄に成り下がったんだよ。一度ならず二度までも脱獄を許した。その事実はこの先どれだけ経とうと消えねえ。これじゃあ鳥かごの方が幾分ましだろうよ」
「20年前から口の減らない奴だな。何とでも言え。お前の脱獄に二度目はない」
「二度目?そんなものは最初からねえよ。此処に用はねえが、出て行く用もねえからな」
 シキはそこで漸く顔を上げた。口元に浮かんだ笑み。しかし何と力の無い、気の抜けた顔だろうかと思う。
「……シキ。20年もかけてお前は一体何がしたかったんじゃ」
「それを今更わざわざおめえに言う必要があるか?そんなくだらねえ話をしに来たってんならさっさと帰ってミーハーな海賊どもを追っかけたらどうだ」
 一頻り睨み合う。いや、睨むという表現は妥当でない。シキの瞳にそんな力はなかった。

 金獅子のシキ。ロジャーや白ひげと名を連ねた、海賊大艦隊の大親分であった男。支配を望んだシキは、自由を望んだロジャーとは対極に居た。
 海兵である己から見れば、海賊など誰もが捕まえる対象でしかなかった。だが、同じ海賊でありながら、シキもロジャーも白ひげも、望んだものはみな違った。それは殆ど全ての海賊がワンピースを追い求めるこの大海賊時代とは大きく異なる。シキがミーハー共と呼ぶ、この時代の海賊たちとは。
 どちらがより正しいのかはわからない。そもそも海賊に正しいあるべき姿などないとも思う。だが、何よりもはっきりとしているのは時代は変わったということだ。

「……もうお前の耳にも入っとるかもしれんが…。シキ。白ひげが逝った」
 その言葉に、シキは片眉をぴくりと動かした。焦点をわざと定めていないような瞳がはっきりと己の姿を捕える。
 シキにとってロジャーは何より大きな存在だった。そして同じ時代を生きた白ひげもまた、決して馴れ合うような仲ではなかったが、思うところは大きいのだろう。
 シキは一頻り無表情で見つめた後、ふと笑った。
「聞くところによれば、麦わら小僧はてめえの孫らしいな」
「…ん?……ああ、ルフィか。まあそうじゃが」
「見たところあの小僧はまだ二十になってねえだろ。二十年前、あの時にはまだ存在すらしてなかったガキだ。なるほど、孫か。おれもお前も歳をとるはずだよなあ」
 薄暗い天井を仰いで、シキは言う。
「……そうか。あいつも逝ったか」

 あいつも。それはロジャーと同じように白ひげも、という意味だろう。つまり20年という歳月はシキにとって二人の死を並べてしまえるくらいの長さでしかなかったということか。
 しかしそれは己にとっても同じだった。歳をとるごとに時間の流れが速くなるとは言うが、時代の残党という言葉が重く圧し掛かる。自分たちは間違いなく、旧時代の生き残りだ。

「ロジャーの時代が終わり、白ひげの時代が終わる。しかし海賊の時代は終わらねえ。大海賊時代の幕が開けて20年、海軍も昔と比べれば随分と大きな組織になったみてえだな」
「海賊がいる限り海軍は在る。海賊の悪行が増えればそれだけ海軍もでかくなる」
「だが組織ってのはでかくなればなるほど目の届かない範囲が増えるもんだ。人を支配するには恐怖を与えるのが一番手っ取り早い。だが海の平和や秩序を謳う海軍じゃあ恐怖支配には限界がある。どうだ、下の方は手が余ってんじゃねえか?」
「それは大艦隊の大親分としての意見か」
「ああ、そうだな。おれもでかい組織を抱えた人間だ。だがでかけりゃいいってもんでもねえな。何十隻もの艦隊の間をロジャーは抜けた。麦わら小僧に至っては、たった九人。たった九人におれの20年の計画は崩されたわけだ。たかだか十数年しか生きてねえような小僧に、20年の計画が水の泡にされた。こんな馬鹿げた話はない。20年の時を経ておれはまたロジャーに負けたんだ」
 シキの言葉に眉をしかめる。ルフィとの戦いにロジャーは関係ない。たとえ戦いの理由となった計画の根本にロジャーの存在があったとしても、それはルフィには関係のないことだったはずだ。
「20年前に死んだ人間に勝つも負けるもないじゃろう」
 ロジャーに拘りすぎだ、と言外に告げると、海軍の中で最もロジャーに拘り続けた男にゃ言われたくねえな、とシキは笑った。
「この大海賊時代は誰が築いた。海賊ってのは支配すること、それが全てだ。だが今の海賊は何を目指してる。皆一様に宝だ財宝だと騒ぐ。そんなくだらねえ時代を築いたのはロジャーだ。処刑間際の一言で、あいつはこの馬鹿げた世界に変えちまったのさ。ロジャーの遺した宝とやらを求めたミーハーな海賊どもが次から次へと涌き出て来やがる。支配者にならない海賊など海賊じゃねえ。おれはそんな奴らを一掃して全ての海の支配者になるつもりだった」
「それがお前の20年の計画か」
「ああ、支配が全てだ。だが、結果はこのザマだ。おれの20年はロジャーの築いた時代に敗れた。20年経ってなお、ロジャーはこの海に生きてる」
 そう言葉を吐くシキに、内心一つため息を落とした。
 シキにとって、どれだけロジャーの存在が大きかったかは知らないけれども、この男はいつまでロジャーに縛られているつもりだろうか、と思う。
「ロジャーも、お前も、わしも、みな先の時代の人間じゃ。新しい時代をつくるのは新しい時代の者たち。お前はロジャーの築いた大海賊時代に敗れたわけじゃない。モンキー・D・ルフィという名の海賊に敗れたんじゃ」

 20年の歳月は彼にとって短かった。しかし世界にとって長すぎたのだ。




私に与えられた残像/title by ジャベリン



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